2022年1月9日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (899) 「神女徳岳」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

神女徳岳(かむいめとくだけ)

kamuy-metot??
神・山奥
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
富良野市と上富良野町の境界に「富良野岳」という山があるのですが、その頂上付近に「神女徳岳」という名前の一等三角点があります。「富良野岳」の旧称が「神女徳岳」だったのかな? と考えたくなりますが、そう単純な話でも無さそうです。

「富良野岳」の旧称

松浦武四郎は「十勝越え」の際に「前富良野岳」と「富良野岳」の鞍部(標高 1,359 m)を越えたとされています。当該区間について、戊午日誌「東部登加智留宇知之誌」には次のように記されていました。

右の方
     ヲツチシバンザイウシベ
と云て、上尖りし山。此山のうしろはソラチの川に到るよし。又左りの方は、
     ヲツチシベンザイウシベ
と云て、是又右の方に培しての高山。頂は岩山にして、其つゞきビエ、べヽツ、チクベツ岳の方に連り、此間を号て、
     ルウチシ
と云たり。ルウチシは路をこゆると云儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.163 より引用)
松浦武四郎が通過した「鞍部」が「ルウチシ」で、これは ru-chis で「路・中くぼみ」と解釈できます。松浦武四郎は旭川から十勝に向かっていたので、富良野岳は「左りの方」、すなわち「ヲツチシベンザイウシベ」だったことになります。

「ヲツチシベンザイウシベ」の意味するところですが、「ヲツチシ」は ok-chis で「うなじ・中くぼみ」となり、具体的には「」を意味すると考えられます。

「バンザイウシベ」と「ベンザイウシベ」の「バン」と「ベン」は、pankepenkepanpen で、それぞれ「川下側の」「川上側の」と考えられます。「ザイウシベ」は sa-e-us-pe で「前・頭(山頂)・ついている・もの」と言ったところでしょうか。

「カムイメトㇰヌプリ」という山名

松浦武四郎は「十勝越え」の際に意図的に「間違ったルート」を案内されたと見られ、松浦武四郎もそれを承知の上で記録していたと考えられるとのこと(このあたりの事情については「松浦武四郎選集 五」の p.53-57 に詳述されています)。

そのことが原因だったかどうかは不明ですが、明治時代の地形図には「ヲツチシベンザイウシベ」の名前は見当たりません。「十勝岳」は現在とほぼ同じ位置に描かれていて、南西の「上ホロカメットク山」の位置には「ペナクシホロカメトㇰヌプリ」と描かれていました。

そして、「十勝岳」と「ペナクシホロカメトㇰヌプリ」の間(の狭い場所)に「カムイメトㇰヌプリ」という山が描かれていました。どうやら一等三角点「かむいとく岳」の名前は、この「カムイメトㇰヌプリ」に由来すると考えられそうです。

「ホロカメットク」

「カムイメトㇰヌプリ」という山名は既に使われなくなって久しいですが、「ペナクシホロカメトㇰヌプリ」は「上ホロカメットク山」という名前で健在です(また南東に「パナクシホロカメトㇰヌプリ」という山が記録されていますが、これは現在「下ホロカメットク山」と呼ばれています)。

2014/2/23 の記事では「ホロカメットク」を horka-mem-etok?? ではないか……と考えてみましたが、今から思えばやはり無理があったかな、と思えます。問題は「メトㇰ」「メットク」「メトック」に該当する語が見当たらないというところなのですが……。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 上ホロカメットク山 1,887 ㍍ 南富良野町新得町との境界の山。アイヌ語「ホㇽカ・メトッ」で,さかさ川の山奥の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.337 より引用)
horka-metot で「U ターンする・山奥」と考えたのですね。鎌田正信さんもこの解釈を追認していたようで……

パナクシポロカメトックヌプリ
下ホロカメトック山(地理院・営林署図)
ペナクシポロカメトックヌプリ
上ホロカメトック山(地理院・営林署図)
 いずれも十勝川本流の水源にあって、十勝と空知の支庁界に位置している。
 パナ・クㇱ・ホㇽカ・メトッ・ヌプリ「pana-kus-horka-metot-nupuri 下手の方を・通る・後戻りする(川の)・山奥の・山」と解したいが、ホㇽカ・エトㇰ・ヌプリ「horka-etok-nupuri 後戻りする(川の)・水源」とも読める。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.127 より引用)
鎌田さんは道東の方なので、道東側から見た解釈(十勝川本流の水源)になっているのが面白いですね。そして metot だと「ク」の出どころが不明になるからか、etok の可能性を残しているのも面白いです。

「メットク川」

このように「メトㇰ」の解釈はややスッキリしない状態だったのですが、「カムイメトㇰヌプリ」という用例をあわせて検討することで新たな発見が無いか、ちょっと考えてみました。

……考えてみたのですが、これと言った発見が無く……(ぉぃ)。地形図を見てみると、十勝岳の東を「メットク川」「下メットク川」という川が流れていることがわかりました。ただ、どちらの川を遡ったところで「十勝岳」に辿り着くのが精一杯で、「上ホロカメットク山」という名前の由来と考えるのは厳しそうに思えます。

ただ、山の名前として horka(U ターンする)が出てくるのもかなり不自然です(horka は、川を遡るうちに方角が逆になってしまう「川」を指すのが一般的です)。

「カムイ」は何処に

ということで、「ホロカ」は川名由来ではないかと思われるのですが、そうすると「カムイメトㇰヌプリ」の「カムイ」はどこから出てきたのか……という点が問題になってきます。kamuy-kotan であれば「神様の村」ですが、これは「人が近づくべきではない場所」と解釈できます。

では「カムイメトㇰ」はどう考えれば良いのか……という話になりますが、kamuy-metot であれば「神・山奥」となり、「人が近づくべきではない山奥」と解釈できるでしょうか。kamuy-etok であれば「神・水源」となり、一見意味不明な感じもしますが、kamuy-wakka-etok だとすれば「神・水・水源」となります。

kamuy-wakka は「神・水」としましたが、より意図を汲み取るならば「魔・水」とすべきだ……という考え方もあります。見た目は清冽な水なのに、実際には毒性の物質が混入していて、飲用すると死に至るような水のことを kamuy-wakka と呼び怖れたとのこと。

この手の「ヤバい水」は火山活動の盛んなところに多く見られるのですが、上ホロカメットク山の西(富良野岳の北)には温泉が湧出しているところがいくつか存在するようです。

「メトㇰ」は「メトッ」だったか

ただ、horkakamuy のどちらにも etok(m)etok としてくっついた……と考えるのは、さすがに無理がありそうな気がします。ここはやはり horka-metotkamuy-metot と考えるのが自然に思えますし、もしかしたら「メトッ」が「メトㇰ」に誤読された……という可能性を考えたほうが良さそうに思えてきました。

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