2022年1月2日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (897) 「幌内(苫小牧市)・稚内(苫小牧市)」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

幌内(ほろない)

poro-nay
大きな・川
(典拠あり、類型多数)
「苫小牧西港フェリーターミナル」と東隣にある「日本軽金属工場」の間を「幌内川」という川が流れています。幌内川の上流部は「北海道大学研究林」の中を流れていて、源流部は国道 276 号の北に位置します。勇払川や勇振川、苫小牧川と比べると若干短いものの、そこそこ長い川の一つです。

幌内川中流部の流域は、現在は「苫小牧市字高丘」と呼ばれていますが、かつては地名も「幌内」だったようです。北大研究林の施設のすぐ南には「高丘浄水場」があり、浄水場の敷地のすぐ北に三等三角点「幌内」があります(標高 52.1 m)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には、「ユウブツ」の南支流として「ホロナイ」という川が描かれていました。現在のようにフェリーターミナルに向かって直接注ぐ流路ではなく、もともとは湿原の中を東に向かって流れていたようです。

戊午日誌「東西新道誌」にも「ホロナイ」と記録されていました。意味は素直に poro-nay で「大きな・川」と考えて良いかと思われます。

稚内(わっかない)

wakka-nay???
水・川
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
苫小牧中央 IC と支笏湖を結ぶ国道 276 号には、かつて「王子軽便鉄道」という鉄道路線が並走していました。線路跡は「自転車専用道路」として整備されていますが、自転車専用道路として整備されるに際して途中に立体交叉が設置されています。


厳密には「線路跡」はこの立体交叉の手前までのようで、ここから支笏湖までは、自転車専用道路は線路跡から 100 m ほど離れた国道の南側を通っています(線路跡には送電線があるため、航空写真で容易に識別できます)。

二等三角点と三等三角点

前置きが長くなりましたが、立体交叉の近くには標高 106.1 m の二等水準点があり、そのすぐ近くに「稚内」という名前の二等三角点があります(但し成果状態が「処置保留」となっているため、現在は三角点として機能していないのかもしれません)。

更にややこしいことに、二等三角点「稚内」から 4 km ほど支笏湖方面に向かったところ(自転車道の南側)にも「稚内」という名前の三等三角点があります(標高 160.4 m)。こちらは成果状態も「正常」のため、現在も三角点として機能しているようです。

謎の「ワッカナイ」

「稚内」と言うからには、このあたりに「ワッカナイ」と解釈できる地名(おそらく川名)があったのだと考えたくなりますが、手持ちの情報は全くありません(ぉぃ)。

二等三角点「稚内」と三等三角点「稚内」はいずれも国道 276 号沿いで、苫小牧川の北側に位置しています(厳密には、三等三角点「稚内」は勇払川の流域と言えそうですが)。

少なくとも川に名前はあった

現在の「苫小牧川」は、「東西蝦夷山川地理取調図」では「マコマイ」という名前で描かれていました。支流として「マサラマヽ」があり、上流部には「ホンマコマイ」と「ホロマコマイ」という名前の川が描かれています。

一方で明治時代の地形図を見てみると、下流部に「ヲテイ子ウシ」という支流が描かれていて、中流部に「ポンコマナイ」という西支流が描かれています。また三等三角点「稚内」の近くを「チヨロノプンナイ」という支流が描かれているほか、更に上流側の西支流として「ヒヒポノウシユマコマナイ」という川が描かれていました。

「ヒヒポノウシユマコマナイ」は「コヒポクウシユマコマナイ」の可能性があるかもしれません。だとしたら随分な誤字ですが……。

とりあえずこれらの情報からわかることは、松浦武四郎(や永田方正)の記録は完全なものでは無いということ(何を今更という話ですが)と、苫小牧川(マコマイ)の支流にもアイヌ語で解釈できる川名があったらしい、ということです。

「チヨロノプンナイ」とは

三等三角点「稚内」の近くを流れていたと思しき「チヨロノプンナイ」は chironnup-un-nay で「キツネ・いる・川」と解釈できるかもしれません。chironnup (cironnup) は主に「キツネ」と解釈する場合が多いようですが、本来は「獲物」「けだもの」と考えるべきのようで、「タヌキ」や「エゾイタチ(オコジョ)」を意味する場合もあるとのこと。また派生型として worun-chironnup で「カワウソ」を意味するようです(水にいる・けもの)。

獲物の棲息地を意味する川名があるということは、猟師がこの山の中に分け入ることもあったと考えられます。苫小牧川(マコマイ)にはいくつもの支流がありますが、その中で飲水を得るのに適した川を wakka-nay で「水・川」と呼んだ……としても不思議はないかも……と言ったところでしょうか。

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