2022年6月4日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (940) 「パナクシュベツ川・ペナクシュ別川・シノマンヤンベツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

パナクシュベツ川

pana-kus-pet
川下のほう・通る・川
(典拠あり、類型あり)
小清水町内を流れる止別やんべつ川の西支流です。支流とは言いながらかなり長い川で、小清水町の南半分をほぼ縦断しています。ややこしいことに、大空町(旧・女満別町)にも全く同名の「パナクシュベツ川」が存在しています。

永田地名解には「ヤㇺ ペッ 川 筋」の川として、次のように記されていました。

Pana kush nai   パナ クㇱュ ナイ   下ノ川
Pena kush nai   ペナ クㇱュ ナイ   上ノ川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.495 より引用)
いかにも永田方正らしいざっくりとした解で、知里さん激おこ案件ですね。ということで知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」を見てみると……

 パナクㇱナイ(右岸支流) パ(下),ナ(方),クㇱ(通る),ナイ(川)。
 ペナクㇱナイ(右岸支流) ペ(上),ナ(方),クㇱ(通る),ナイ(川)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.251 より引用)
流石ですね。pana- を「川下のほう」とまとめてしまうことも多いのですが、ここではしっかりと pa-na- に分解されています。どうやら昔は「──ベツ」ではなく「──ナイ」だったようで、pana-kus-nay で「川下のほう・通行する・川」だったようですね。

「ヌッカクシヤンヘツ」と「パナクㇱナイ」

「竹四郎廻浦日記」には「ヤワンベツ」(=止別川)について、次のように記されていました。

 川有巾七八間、橋有。遅流にして深く、上の方に谷地多く、其川筋字はホンヤンベツナイ、メム、ヌツカ、クシヤンベツ、ユイネイ等云有りと。魚類鯇・鮃・チライ・鰔・雑喉多し(小使コタンスヘ申口)。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.390 より引用)
「ホンヤンベツナイ」は現在の「ポン止別川」のことと思われますが、「──ベツナイ」というのがちょっと謎な感じです。-pet-nay も「川」を意味するので、-pet-nay というのは本来ありえない組み合わせです。

ただ、この記録のネタ元と思われる「辰手控」には、「ホンヤンヘツ」と「ナイ」が別の川であるように記されていました。

○ヤンヘツ(止別川すじ)
  ホンヤンヘツ
  ナイ
  メム
  ヌッカクシヤンヘツ
  ヌミ子ヲマナイ
  エヘシュイ子イ
   〆    小使コタンスツ申口也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 三」北海道出版企画センター p.335 より引用)
これを見ると「ホンヤンヘツ」と「ナイ」が分離している一方で、「ヌツカ」と「クシヤンヘツ」が合体してしまっています。「ヌッカクシヤンヘツ」であれば nupka-kus-{ya-wa-an-pet} で「野原・通る・{止別川}」となるでしょうか。上富良野町の「ヌッカクシ富良野川」と同じような川名です。

ということで、小清水町の「パナクシュベツ川」は pana-(nupka-)kus-({ya-wa-an-})pet で「川下のほう・{野原・}通る・{止別}川」かと思ったのですが、知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」をよく見ると「パナクㇱナイ」「ペナクㇱナイ」とは別に「ヌㇷ゚カクサンペッ」という川が記録されていました。

 ヌㇷ゚カクサンペッ(左岸支流) 「ヌㇷ゚カ・クㇱ・ヤンペッ」(nupka-kus-Yampet 原野を・通つている・止別川)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.251 より引用)※ 原文ママ
この「ヌㇷ゚カクサンペッ」ですが、明治時代の地形図を見てみると、現在の「止別川」の上流部(ほぼ国道 391 号沿い)が「ヌㇷ゚カコサンナイ」であると描かれていました。「コ」が「ク」の誤記だとすると「ヌㇷ゚カクサンナイ」だったことになり、知里さんが記録した「ヌㇷ゚カクサンペッ」のことだ、と言えそうです。

「通る川」は「横切る川」?

ということで、「ヌッカクシヤンヘツ」あるいは「ヌㇷ゚カクサンペッ」と「パナクシュベツ川」は *別の川* だということが確認できた……ような気がします。

何となく振り出しに戻った感もありますが、小清水町の「パナクシュベツ川」は「ハナクシナイパナクㇱナイ」のことだという点は間違い無さそうに思えます。kus- は「通行する」だと理解していましたが、正確には「通る」と見るべきだったかもしれません(「人が通る」ではなく「川が通る」)。

知里さんは美幌町の「登栄川」について、tu-etok-kus-nay を「山の走り根を横切る川」と解釈していました。小清水町の「パナクシュベツ川」(と「ペナクシュベツ川」)もよく似た地形なので、pana-kus-pet は「川下のほう・通る・川」ですが、「川下のほうの横切る川」とも解釈できるかもしれません。

ペナクシュ別川

pena-kus-pet
川上のほう・通る・川
(典拠あり、類型あり)
止別川の西支流で、小清水町の「パナクシュベツ川」の南東を流れています。「パナクシュベツ川」よりも上流側で止別川に合流しているということになりますね。

地理院地図には「ペナクシュベツ川」と表示されていますが、国土数値情報では「ペナクシュ別川」のようです。支流の「ポンペナクシュベツ沢川」は「ベツ」なのに……。

「竹四郎廻浦日記」や「辰手控」にはそれらしい川の記録が見当たりませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヘナクシナイ」という名前の川が描かれていました。永田地名解に「ペナ クㇱュ ナイ」とあり、知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」に「ペナクㇱナイ」とあるのは「パナクシュベツ川」の項で記したとおりです。

「ペナクシュ別川」(ペナクシュベツ川)は pena-kus-pet で「川上のほう・通る・川」と見て間違いないかと思います。kus- を「横切る」と解釈したほうが良さそうなのも同様です。

シノマンヤンベツ川

sinoman-{ya-wa-an-pet}
本当の・{止別川}
(典拠あり、類型あり)
「シノマンヤンベツ川」は「ペナクシュ別川」と「止別川」の間を流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」には「シノマンヤンヘツ」という川が描かれていて、明治時代の地形図にも「シノマンヤㇺペッ」と描かれていました。

知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 シノマンヤンペッ(本流の上流) シノ(本当に),オマン(奥へ行つた),ヤンペッ(止別川)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.251 より引用)※ 原文ママ
sino-oman-{ya-wa-an-pet} で「本当に・山の方へ行く・{止別川}」ではないかと言うことですね。ただ「地名アイヌ語小辞典」では sinoman- 自体が sino- と同じ意味とあるので、あるいは sinoman-{ya-wa-an-pet} で「本当の・{止別川}」としても良いかもしれません(意味はほぼ変わらないので)。

現在の「止別川」は野上峠に向かう国道 391 号沿いを流れていますが、明治時代の地形図では「ヌㇷ゚カサンナイ」と描かれていて、「止別川の東支流」という扱いでした。本流として「本当の止別川」という名前の川があったのに、いつの間にか「シノマンヤンベツ川」という「支流」に化けてしまったというのも……困った話ですね。

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