2020年2月8日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (701) 「ニセイパロマップ川・ニセイノシュケオマップ川・ペンケ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ニセイパロマップ川

nisey-char-oma-p
断崖・口・そこにある・もの(川)

(典拠あり、類型多数)

深川市北部を流れる雨竜川の西支流です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ニセイチヤロマフ」という名前の川が描かれていますが、おそらくこれが現在の「ニセイパロマップ川」のことだと思われます。

良く見ると、下流側に「ニセイハロマフ」という川も描かれていました。名前だけで考えると「ニセイハロマフ」が現在の「ニセイパロマップ川」のことのようにも思えますが、他の川との位置関係を考慮すると「ニセイチヤロマフ」が現在の「ニセイパロマップ川」であると考えたほうが良さそうです。

「再篙石狩日誌」には、次のように記されていました。

扨此処の様子を段々古老の者に聞に、其滝より少し上に上り
     ニセチヤロマツプ
と云て少しまた平地に成、此川二すじに分るよし也。則此処までを下のカモイコタンと云またはバンケシユホロとも云よし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.348 より引用)

むむ、「再篙石狩日誌」における雨竜川筋の記録は、実際には幌加内町にすら入っていなかったのですね。なるほど、記述が若干怪しいかなぁと思っていましたが、全部聞き書きだったのであれば仕方がありません。逆に言えば、聞き書きでこのレベルに仕上がっているというのは、インフォーマントの記憶力は大したものだ、と言えるのかもしれません。

「再篙石狩日誌」における「ニセチヤロマツプ」あるいは「東西蝦夷山川地理取調図」における「ニセイチヤロマフ」は、おそらく nisey-char-oma-p で「断崖・口・そこにある・もの(川)」でしょう。

charpar は同じ意味で、通常は「入口」と解釈するのが一般的かと思います。ただ、実際の地形を見た限りでは、雨竜川を遡った場合、ニセイパロマップ川は「断崖の出口」の近くで雨竜川と合流しています。そのため、今回は「入口」ではなく「口」と解釈しておきます。

「しめしめ、うまく誤魔化せたぞ」と思いながら永田地名解を眺めていたところ……

Poro nisei par'omap  ポロ ニセイ パロマㇷ゚  大ナル絶壁ノ口ニ在ル川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.60 より引用)

流石は永田パイセンですね。一生ついていきます!(ぉ)

ニセイノシュケオマップ川

poro-nisey-noske-oma-p
大きな・断崖・中央・そこにある・もの(川)

(典拠あり、類型多数)

雨竜川の西支流で、ニセイパロマップ川の南を流れています。このあたりの雨竜川は左右に道が見当たらないため、徒歩かボート以外では到達が困難な場所かもしれません。

「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。

また三四丁、其垂松の枝に下る等して行て、
     ニセノシケオマフ
此処高五尺計も有大岩の滝也。其下深き事は凡数尋、碧潭浤々として渦巻けり。此処川流屈曲したるが故に屏風を立廻したるごとし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.348 より引用)

文面を見る限り、松浦武四郎の一行はこのあたりまでは必死に遡ったようですが、この先に「滝」があり、ついに遡上を諦めることになったのだとか。当時は朱鞠内湖も無かったので、雨竜川の水量も今とは比べ物にならなかったのでしょうね(現在は朱鞠内湖から一部が天塩川側に流れていた筈)。

永田地名解には次のように記されていました。

Poro nisei noshke omap  ポロ ニセイ ノシュケ オマプ  大ナル絶壁ノ中央ニ在ル川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.60 より引用)

poro-nisey-noske-oma-p で「大きな・断崖・中央・そこにある・もの(川)」と考えて良さそうですね。地図によって poro はあったり無かったりしますが、とりあえず今回は永田パイセンに敬意を表して。

ペンケ

penke-chi-kus-pet?
川上側・我ら・通行する・川

(? = 典拠あるが疑わしい、類型多数)

雨竜川の「鷹泊ダム」の下流部(東側)の地名です。近くを「ペンケ川」という川も流れています(雨竜川の東支流)。

「東西蝦夷山川地理取調図」や「北海道地形図」には、この川の名前を確認できませんでした。「五万分一地形図」の模写?を見ると、現在の「ペンケ川」のところに「パンケ○クㇱユペツ」と描かれているように見えます。

面白いのが「ペンケ」ではなく「パンケ」となっているところで、現在「王子の沢川」と呼ばれる川が「ペンケチクシユペツ」と描かれているように見えます。penke-chi-kus-pet であれば「川上側・我ら・通行する・川」と読めそうです。

深川から幌加内に抜けるには、国道 275 号(旧道)の「幌加内峠」を抜けるのが一般的です。実際に「カムイルペシュペ」という名前の川が記録されており、峠道(ルペシュペ)として認識されていたことが伺えます。

現在「ペンケ川」と呼ばれている「パンケチクシュベツ」(と思われる)を遡ると、幌加内町の「土谷の沢川」筋に出ることになります。2020/2/2 の記事でも少しだけ記しましたが、「土谷の沢川」は「ヌツフヲシマケクシホロカナイ」と呼ばれていた節があり、確かに kus(通行する)川と認識されていたことになります。

幌加内峠の標高は海抜 328 m ですが、ペンケ川から土谷の沢川に抜けた場合は標高 490 m ほどの鞍部を抜ける必要が出てきます。幌加内峠経由と比べて直線距離が劇的に短いわけでも無く(「川からの距離」で考えると確かにやや短いですが)、なぜこんな険しい峠を越える必要があるのだろう……という疑問が若干残ります。もしかしたら、「カムイルペシュペ」は熊が出るとして忌避した……とかでしょうか。

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