2021年2月13日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (806) 「勇駒別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

勇駒別(ゆこまんべつ)

yu-ko-oman-pet?
温泉・に向かって・行く・川

(? = 典拠あるが疑わしい、類型あり)

大雪山「旭岳」の入口である「旭岳温泉」のあたりの地名です。近くを川が流れていますが、川の名前は「湧駒別川」で字が微妙に異なります。

謎の「リコマヘツ」

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヘウキナイ」の支流として「リコマヘツ」という川が描かれています。丁巳日誌「再篙石狩日誌」にも「リコマヘツ」という記録がありますが、ちらっと見た限りでは「ヘウキナイ」の支流では無いようにも見えます。

     ノカナン
     ヘウキナイ
     フヨマナイ
等何れも左りの方、キトウシの辰巳の方に山つヾきになる也。またしばし上りて
     リコマヘツ
右の方小川のよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.281 より引用)

あれ、そう言えば「フヨマナイ」(puy-oma-nay かな?)ってどこでしたっけ(汗)。それに「リコマヘツ」が「右の方」(南支流)となっているのも解せないですね。「東西蝦夷──」で描かれたように「ヘウキナイの南支流」なのであれば現在の「湧駒別川」そのものなんですが……。

似て非なる「ユㇰウンナイ」

永田地名解では「ピウケ ナイ」の次が「ユㇰ ウン ナイ」となっています。この「ユㇰ ウン ナイ」はどうやら「湧駒別川」のことでは無いようで、「東西蝦夷山川地理取調図」に「ユクンナイ」あるいは「ユクシナイ」と描かれている川のことを指していると思われます。

「ユコマペツ」の出現

「東西蝦夷山川地理取調図」や永田地名解に出てこない「湧駒別川」ですが、明治時代の地形図には「エコマペツ」あるいは「ユコマペツ」として出てきます。

この「リコマヘツ」と「ユコマペツ」の問題については、知里さんは次のように整理していました。前後関係をきちんと把握するために、ちょっと長めに引用します。

 ピウケナイ(Piuke-nai「水がどつと押しよせてくる・沢」) 左,枝川。この沢の入口は滝になっており,その上は両岸の断崖が迫つて所謂「はこ」をなしている。「ピウケ」は「襲う」意。「石多クシテ流水襲撃シ怖ルベキ処ナリ」(永田氏『地名解』)。
 リコマペツ(Rik-oma-pet「高所・に登つて行く・川」) 前記「はこ」から上流をこう呼ぶ。「カムイシリ」(Kamui-shir「神・山」の義で大雪山をさす)に登つて行くので「リコマベツ」と言うのである。
 ヤムワッカ(Yám-wakka「冷い・水」) ピウケナイの右方の枝川。
 ユコマンペツ(Yukoman-pet<yú-ko-oman-pet「温泉・に向つて・行く・川」)ピウケナイ川の右方の枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.329 より引用)※ 原文ママ

さすが知里さん、問題点をサクっと整理してくださっています。「リコマペツ」と「ユコマペツ」については「どちらも別物」とした上で、現在所在がわからなくなっている「リコマペツ」については「ピウケナイ川の上流部」である、としています。

「再篙石狩日誌」に見る「リコマヘツ」と「ユクンナイ」

さて、ここでちょいと「再篙石狩日誌」に戻ります。

またしばし上りて
     リコマヘツ
右の方小川のよし。此辺は堅雪の節イソテク、シリコツ子と上りし事有るよし也。船等は中々上らざる処なりとかや。又少し上りて、
     ヒラウシマケクシナイ
此処より上は両岸ヒラのよし也。堅雪の節山の上より見る計にて、中々川筋よりは見えざる由聞侍りけり。少し上り
     アヨシボ
     ユクンナイ
共に左りの方高山の間より滝に成落るよし聞侍る。此源にヒユキナイノホリと云山有。温泉有るよし也。少し上
     ヘ タ ヌ
ヘタヌは二股のことなり。右の方少し小さし。是を
     クワウナイ
と云なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.281-282 より引用)

「ピウケナイ川」から上流側の忠別川の北支流としては「サッパオナイ川」があり、「峡関壁」と「長城壁」の先に「熊の沢川」があります。そこから更に「天人峡」と「天人峡温泉」の先に「アイシポップ川」がある……ということになります。

ここでポイントになるのが「熊の沢川」とその東支流の存在です。どうやら「熊の沢川」の東支流(遡ると勇駒別のすぐ南にたどり着く)が、明治時代の地形図では「ユーウンナイ」あるいは「ユㇰウンナイ」と認識されていたようなのですね。

「再篙石狩日誌」の「ユクンナイ」の項を見てみると、「此源に──温泉有るよし也」と書いてあるようにも読めます。前述の通り、「ユーウンナイ」あるいは「ユㇰウンナイ」を遡ると「勇駒別」の南にたどり着くので、「温泉有るよし」という記録との整合性も取れる……というわけです。

知里さんは「ユコマンペツ」を yu-ko-oman-pet で「温泉・に向かって・行く・川」だとしました。見事な解だと思いますが、同様に「ユㇰウンナイ」も yu-ko-un-nay で「温泉・に向かって・そこに入る・川」だったりするのでしょうか。

「アヨシホ」と「アイシポップ川」

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみると、現在行方知れずになっている「ヨコナイ」がかなり長い川として描かれていることに気が付きました。そして「ユクンナイ」が「アヨシホ」よりも上流側に描かれていることを考えると……あ、これはもしかして……。

ようやく気づいたのですが、松浦武四郎が記録した「アヨシボ」と現在の「アイシポップ川」は全く別物(おそらく後の誤認)だったんですね。と言うのも、「再篙石狩日誌」に出てくる「アヨシボ」は「ヘタヌ」と「クワウナイ」より手前(下流側)にあると見られるためです。

「ヘタヌ」は pet-aw で「川・枝」すなわち「川が二手に分かれるところ」を意味します。となると「クワウナイ」は現在の「クワウンナイ川」のことと見て間違い無さそうで、そうすると「アイシポップ川」が「クワウンナイ川」よりも上流側で忠別川に合流していることが「何かの間違い」ということになります。

やはり「ユコマペツ」は「リコマヘツ」だった

ここで改めて注目すべきは「熊の沢川」が中流部で三つに枝分かれしていることです。この三つの川を「ヒラウシマケクシナイ」「アヨシボ」「ユクンナイ」と考えると、「ユクンナイ」の水源近くに「温泉有るよし」という記録とも矛盾しません。

なお、この「ヒラウシマケクシナイ」ですが、実際は「ヒラウシユクウシナイ」あたりの可能性もあるんじゃないかと考えています。「ヒラウシマケクシナイ」「アヨシボ」「ユクンナイ」は最終的に一つの川に合流してから忠別川に注いでいますが、「ユクンナイ」が本来は yu-ko-us-nay という名前で、その支流として pira-us-{yu-ko-us-nay} と呼ばれた……という可能性があるのではないでしょうか。

そして、この「アヨシボ」と「ユクンナイ」の解釈から類推できることとして、「リコマヘツ」も「忠別川」の右支流ではなく、やはり「ヘウキナイ」の右支流だったと解釈できる……ということになります。

つまり(長かったね)、現在「湧駒別川」と呼ばれる川は、「東西蝦夷──」や「再篙石狩日誌」で「リコマヘツ」とされた川と同一のものだと思うのです。元々 rik-oma-pet で「高い所・そこに入る・川」だったのが、温泉があったことと、近くを流れる「ユクンナイ」の影響を受けて yu-ko-oman-pet で「温泉・に向かって・行く・川」に化けたのではないか、というのが今日の結論です。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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