2021年2月27日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (810) 「伏古・美志内川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

伏古(ふしこ)

husko(-{ay-pet})
古い(・愛別川)

(典拠あり、類型あり)

愛別川の支流に「ヌッパオマ川」という川があるのですが、その北側一帯の地名です。husko は「古い」「古くある」という意味ですが、なぜか北側に「伏古山」という山があるだけだったりします。「山が古い」とは一体どういうことでしょう……?

知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には「愛別川筋の地名」という項もあるのですが、そこには次のように記されていました。

 フシコ・アイペツ(Húshko-Aipet「古い・愛別川」) 左,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.332 より引用)

あー、やはり愛別川の旧流があったのですね。そして山の名前は「伏古」が地名として成立してから、「伏古にある山」ということで「伏古山」になった、というオチなのでしょうね。

大正時代の陸軍図には既に旧流は描かれていませんが、明治時代の地形図には「シユマアイベツ」という名前で旧流がしっかり描かれていました(詳しくは http://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/dsearch/da/detail.php?libno=11&data_id=5-885-0 でどうぞ)。

なお、現在は「ポン川」という名前の川が道道 101 号「下川愛別線」の南側を流れています。この「ポン川」は愛別川からの分水が合流していますが、この分水がかつてのフシコ・アイペツを流用している可能性がありそうです。

ということで、「伏古」は husko(-{ay-pet}) で「古い(・愛別川)」だった、というお話でした。

美志内川(うつくしない──)

ut-kus-nay
肋・通行する・川

(典拠あり、類型あり)

道道 101 号「下川愛別線」から北に分岐する道があり、「美志内橋」で愛別川を渡っています。美志内川は「美志内橋」の 150 m ほど下流側で愛別川に合流する北支流の名前です。

永田地名解には記載が無いようですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ウツクシナイ」という名前の川が描かれていました。また、知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ウックシナイ(Ut-kush-nai「横川が・通つている・川」) この川には肋骨のような枝川がついているのでそう言つたらしい。左,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.332 より引用)※ 原文ママ

まぁ、「美志内」が「うつくしない」と読めた時点で半ば勝ったも同然なのですが、ut-kus-nay で「肋・通行する・川」ということのようです。ut は本来は「肋骨」(あばら──)という意味ですが、地名においては直角に近い角度で合流する川のことを「あばらぼね川」と呼んだとされます。

kus-nay は「通行する・川」で、川筋がそのまま交通路として使用された川で良く見かけます。現在の指標ではとても道路として良いルートとは思えませんが、とにかく距離を重視したアイヌの交通路と考えると、山向こうの比布川筋に出るルートの一つとして考えられるかな、と言ったところでしょうか。

松浦武四郎の記録をどこまで信用するか

ここからは思いっきり余談なのですが、改めて丁巳日誌「再篙石狩日誌」を見てみると、少し妙なことに気が付きます。

扨、此アイヘツの事は此イチヤンコエキなる者能くしり居る山中に附、其大略を聞取て樺明しもて筆記するに、先フトより七八丁上りて左りの方ウツクシナイ、右の方ヌフリコヽマツフ、ヌツハヲマナイ、左りの方チシフ(コ)トンナイ、並びてハンケアンヘ、しばし上りて右の方イシカリカリ(プ)しばし上りて左りのちサツクルベシベツ、此処よりテシホ川すじケ子フチえ山越によろしと。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.319 より引用)

「一丁」は約 109 m ですから、「フトより七八丁」であれば、「二線通」の「富沢橋」のあたりということになってしまいます。ここには「ヨーコシナイ第二川」と「ヨーコシナイ川」が北から合流しているので、つまり「ヨーコシナイ川」と松浦武四郎が聞いた「ウツクシナイ」は同じ川だった可能性が出てきます。

そして「ヌツハヲマナイ」は現在の「ヌッパオマ川」だろう……と考えていたのですが、となると「ヌフリココマツフ」という川の存在が宙に浮くことになります。もし「ヌフリココマツフ」が nupuri-ka-oma-p だとすれば、「山・かみて・そこに入る・もの」と考えることができるので、現在の「ヌッパオマ川」の位置に相応しい名前と言えそうです。……余談の余談ですいません。

本題に戻りますと、松浦武四郎が記録した「ウツクシナイ」は現在の「ヨーコシナイ川」のことで、現在「美志内川」と呼んでいる川は「チシフトンナイ」あるいは「チシコトンナイ」だった可能性も出てきます。

「チシコトンナイ」は何処へ

この「チシフトンナイ」あるいは「チシコトンナイ」ですが、明治時代の地形図には「チヤシユトンナイ」という川が描かれていました。知里さんはこの川について次のように記していました。

 チャシコトゥンナイ(Cháshkot-un-nai「砦跡・へ行く・沢」)左,枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.332 より引用)

あっ、なるほど。確かに chasi-kot-un-nay で「砦・跡・ある・川」と読めますね。現在この川の所在は不明(明治時代の地形図に描かれた川に相当するものが見当たらない)なのですが、現在「ヨーコシナイ第三川」と呼ばれる川のことだったかもしれませんし、松浦武四郎の記録に信を置くならば現在の「美志内川」のことかもしれません。

「砦跡」がありそうな川とすれば、「ヨーコシナイ第三川」のほうが有力かもしれませんね。松浦武四郎は「イチヤンコエキ君がこの辺に詳しいので」としてその語るところを記録したものの、実は結構間違っていた、というオチかもしれません。ただ「ヌッパオマ川」については松浦説の「ヌフリココマツフ」のほうが適切な感じもするので、一概に間違いとも言い切れないんですよね。

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