2023年5月3日水曜日

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「日本奥地紀行」を読む (146) 土崎港(秋田市) (1878/7/26)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十五信」(初版では「第三十信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

祭りの山車

数日ほど久保田(秋田)に滞在したイザベラは、ようやく北に向かって進み始めた……筈だったのですが、この日は「土崎神明社例祭」の日(おそらくクライマックスの日か、その直前)で、街道に群衆が押し寄せてイザベラ一行は身動きが取れなくなり……

 私たちはもっとも混雑しているところへ出かけた。そこは大きな山車が二つあって、私たちは先ほどその巨大な建造物を遠くから眺めたのであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.277 より引用)
結局お祭りを見物することに。イザベラが例祭に遭遇したのは偶然のような書きっぷりですが、もしかして宿の主人あたりが、イザベラの出立と例祭をぶつけるために「今日は天気が良くないから出立は明日にすればいいですよ」みたいなことを吹き込んでいたりしたら……面白いんですけどね。

三〇フィートも長さのある重い梁を組み立てたもので、中身のしっかりした巨大な車輪が八個ついていた。その上にいくつかの櫓が建てられ、突出物があった。それは杉の枝の平らな表面に似ていた。上端には不揃いの高さの特殊な山が二つあった。全体は地面から五〇フィート近くあった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.277 より引用)
当時は動画はおろか、写真を撮影することすら容易ではない時代でしたから、スケッチするか、あるいはこうやって詳らかに記すしか方法が無かったのだなぁ、と改めて思わせます。

祭の山車だしは、海外からの客の目には特にエキゾチックなものとして映ることが多い……と思うのですが、イザベラが例祭の山車に投げかけた視線は何故か険しいものでした。

全体が山をかたどり、神々が悪魔を打ち殺すさまをあらわしていた。しかし私は、これほど粗末で野蛮なものを見たことがない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.279 より引用)

神と悪魔

イザベラの眉を曇らせたものは一体何だったのか……という話ですが、イザベラは山車に神ではなく悪魔の姿を見たようです。

どの山車の前部にも、幕の下で三十人の演技者が悪魔のもつような楽器を手にし、実に地獄的な騒音で、あたりの空気をふるわせていた。それは、征服者である神々よりもむしろ悪魔を暗示した。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.278 より引用)
あ、これはもしかして……。イザベラは日光の「金谷家」に逗留した際にも、次のように記していました。

金谷さんは神社での不協和音(雅楽)演奏の指揮者である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.98 より引用)
どうやらイザベラは「雅楽」が徹底的に苦手というか、生理的に受け付けなかった可能性すら感じさせます。「悪魔のもつような楽器」は、もしかしたら「篳篥ひちりき」あたりだった可能性もありそうです。

高く上に押し出してある台には、奇怪な姿の集団がいくつかあった。一つの台には、寺院の仁王ニオーによく似た巨人が真鍮の鎧をつけて、うす気味悪い鬼を殺していた。ある台には大名ダイミヨーの姫が、豊かな花模様の繻子の袖をつけた金紗の着物を着て、三味線サミセンをひいていた。またある台上には、実物より三倍も大きな猟人かりゆうどが同じく二倍も大きな野生の馬を殺していた。その馬の皮は棕櫚しゅろの幹をおおう堅い毛であらわされていた。またある台上には、極彩色の神々と、同じくぞっとするような鬼がいろいろ並べられていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.278 より引用)
これを読むだけでは何が何やら……という感じですが、なんとなく日本の「祭り」にありそうな話だな……と感じた方も少なくないのではないでしょうか。

イザベラは、山車のサイズを「全体で地面から 50 ft(約 15.24 m)」と記していました。岸和田の「だんじり」の高さが約 3.8 m らしいので、比較すると今回の山車の巨大さが際立ちますが、驚くべきことにこの巨大な山車は移動するとのこと。いや、「山車」なので移動して当然なのかもしれませんが……。

これら二つの山車は、街路上を引かれて行ったり来たりしていた。引く男たちはそれぞれの車に二百人で、三時間で一マイルしか進まなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.278 より引用)
3 時間で 1 マイルということは、時速 0.536 km ほどということになりますね。歩くよりも遅いのは当然でしょうけど、実はなかなかの速度なのでは……。

たくさんの男たちは、てこを使って重い車輪が泥にはまりこんでいるのを引き上げていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.278 より引用)
あっ、そうか。舗装路じゃ無いんですよね。巨大な山車を未舗装の道に繰り出すのは凄まじい労力が必要になると思うのですが、一体何が人々を「祭り」に駆り立てるのか……?

活人画

「悪魔のもつような楽器」の「地獄的な騒音」に打ちのめされたかと思われたイザベラですが、やはり好奇心(根性かも)が勝ったのか、イベントの詳細を記していました。ただ「奥地紀行」としてはオフトピックだという判断からか、「普及版」ではバッサリとカットされたようです。

 百合の花模様のついた金箔貼りの身分の高い人の乗る美しい2台の駕籠カゴがそれぞれ4人の男に担がれて運ばれて行きます。その中には顔を真っ白に塗り、つけ毛で凝ったふうに髪を結い上げ、目も綾なサテンの花柄の着物で装った子どもが一人ずつ、金色の布の座布団に威厳のある雰囲気でよりかかって乗っています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.107 より引用)
この手の祭りで稚児の舞が見られるのも、古くからの伝統と言えそうでしょうか。

この子どもたちは、この祭りマツリに古い踊りを演ずるように多大な出費で教えられた、土地の金持ちの家の子どもたちです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.107 より引用)
多大な出費でトレーニングを受けた「土地の金持ちの家の子ども」というのは、いかにも封建的ですね。どうやらイザベラは「金をかけた稚児舞」に批判的で、嫌悪感すら抱いていた可能性があったようで……

 これらの子どもたちは痛々しいほど上手に演じました。このような完全な威厳と冷静沈着さを持った8、9歳の子どもを見ることは気を塞がせるものです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.107 より引用)
難しいところですよね。歌舞伎役者の家に生まれた子が幼くして舞台に立つことも似たようなものだと思われますが、それが「悪いこと」なのかと言われると、果たして本当に悪いことなのだろうかという疑問が出てきます。ただ逆もまた然りで、それが果たして「良いこと」かと言われると……。

 私は女性の首が切られるのを見に行き、1時間半も泥の中に足を突っ込んで立っていましたが、その仕掛けは見え透いたもので、たいしたことのない手品でした。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.107 より引用)
泥の中に足を突っ込んで 1 時間半も……。イザベラ姐さん、実はめちゃくちゃ祭りをエンジョイしていたのでは……?

私はまた、ポーズをとり踊る犬を観ましたが、それは恐怖の影響による演技であることは明らかでしたので、私はその犬を買い取ることを申し出ましたが、飼い主の暴君は50円以下では売ろうとしませんでした。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.107 より引用)
あー……。動物の芸は、別の見方をすれば「虐待」そのものですからね。稚児の舞も一歩間違えれば「虐待」に近づく危険性がありますし、日本人はまだまだこの辺の感覚が(欧米諸国と比べると)周回遅れのところがありますよね。

この祭りは、英国の縁日や祭日、お祭り騒ぎと同じように、本来の宗教的意味を失って、三日三晩も続く。今日がその三日目で、最高潮の日であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.278 より引用)
あー、やはり例祭のクライマックスの日だったんですね。泥の中に足を突っ込んで 1 時間半我慢するだけの価値はあった……のでしょうか?

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2 件のコメント:

<セルダン> さんのコメント...

> どうやらイザベラは「雅楽」が徹底的に苦手というか、生理的に受け付けなかった可能性すら感じさせます。

西洋音楽(クラシックとか)では
短調→不完全なもの→人間のもの
長調→完全なもの→神のもの
という考え方があります。
バッハの曲などで、短調の曲の最後だけ長調に転調して終わるピカルディ終止というのがあります。
これも不完全な人が(死んで)神の世界へ至るというというストーリーが背景にあります。

あとは、ロマとかケルト(北欧)とかアラブといった、キリスト以外を神とする人々の音楽の多くが西洋音楽の調性とは違う「不協和音」で構成されており、一神教のキリスト教徒から見ればキリスト以外の神を名乗るものは悪魔ですから、「不協和音」は悪魔の音楽という考え方があったのかもしれません。

いずれにせよ、イザベラの個人的感覚ではなく、当時のキリスト教文化圏での感覚なのかも。

Bojan さんのコメント...

<セルダン> さん:
ご教示ありがとうございます。バッハの曲のどことなく無理やりな(失礼)終わり方は「ピカルディ終止」と言うのですね。いかにも「バッハだなぁ」と思って聞くことが多かったのですが、そんな意図があったとは知りませんでした。

イザベラは牧師の家の娘さんなので、それも影響してるのかな……と思ったりもしましたが、イザベラの感性は「西洋社会」では極々一般的なものだった可能性がありそうですね。

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