2010年1月18日月曜日

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元帥陸軍大将大山巌公像

 

地図どうぞ

千鳥ヶ淵緑道を散策して、インド大使館の前を通り過ぎ、田安門のあたりに戻ってきました。
案内板の地図を撮影してみたのですが、ちょっとこれだと字が潰れて見えないので……。
主要な部分を拡大してみました。

元帥陸軍大将大山巌公像(見えないけど)

さて、まず見えてきたのが「元帥陸軍大将大山巌公像」です。
元帥と言えば、やっぱり「グズ元」の愛称で親しまれた(何か違う)「杉山元元元帥」の名前がどうしても頭に浮かんでしまうわけですが……。だって「元元元」ですよ。なんだか凄いじゃないですか(←

一応、答え合わせをしておきますと、杉山 元(はじめ)元(もと)元帥(げんすい)です。

それにしても世界の Google は素晴らしいですね。「グズ元」で検索しても Wikipedia の「杉山元」のページをトップに引っ掛けてきます。本文中にはただの一言も「グズ元」なんて書いていないにも関わらず、です。

「グズ元」の話題はまた今度

……この調子だと「グズ元」で一本行きかねないので、本題?の「大山巌」に戻りましょう。

大山 巌(おおやま いわお、天保13年10月10日(1842年11月12日) - 大正5年(1916年)12月10日)は、日本の武士、政治家、元老、軍人。通称は弥助。雅号は赫山、瑞岩。字は清海。元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵。日本陸軍の創成期から日露戦争にかけて活躍した軍人。
(Wikipedia 日本語版「大山巌」より引用)
なるほど。今、流行りの(?)日露戦争の頃に活躍した人なんですね。幕末から明治維新のあたりの歴史はあんまり興味がなくて、自分の中ではウィークポイントなんですが、まさにその時代の人、ですね。

連想ゲーム(←

ちなみに、「日露戦争と言ったら誰?」という質問に対しては、東郷平八郎乃木希典ステッセル(←)、百歩譲って児玉源太郎、で終わってしまいます。

そうそう、確か池波正太郎だったと思うのですが、著作のあとがきにて何の説明もなく「かの乃木希典だった」といった文章を書いていたことがありました。つまり、乃木は「言わずもがな」の存在だったことが窺い知れるわけですが、最近では、ごく一部の「日露戦争マニア」以外は「それって誰? てゆーか読めないし」と言いそうな気が……。うーん、なんか複雑な心境。

念のため答え合わせですが、乃木(のぎ)希典(まれすけ)です。

「乃木希典」の話題はまた今度(←

……この調子だと「乃木希典」で一本行きかねないので、本d(ry

コホン。大山巌の話題に戻りましょう。

維新後の明治2年(1869年)、渡欧して普仏戦争などを視察。明治3年(1870年)から同6年(1873年)の間はジュネーヴに留学した。
(Wikipedia 日本語版「大山巌」より引用)
いやー、いきなり世界史の話になってきました。普仏戦争ですからね。プロイセンですからね。

陸軍では順調に栄達し、西南戦争をはじめ、相次ぐ士族の反乱を鎮圧した。日清戦争では陸軍大将として第二軍司令官、日露戦争においては、元帥陸軍大将として満州軍総司令官に就任。ともに、日本の勝利に大きく貢献した。同藩出身の東郷平八郎と並んで「陸の大山、海の東郷」と言われた。
(Wikipedia 日本語版「大山巌」より引用)
ふむふむ。個人的に東郷平八郎よりもインパクトに欠けるのは、やっぱ名前のインパクトに依るものが大きいのでしょうか(←)。「希典」とか「征四郎」とか「莞爾」なんてのはインパクト大ですが、「直樹」とか「信行」とか「章」は……今でもいそうですからね。

おまけのクイズ

あ、もし良かったら「直樹」「信行」「章」のフルネームをどなたか答えてみてください。全員、戦前にそれなりの地位にあった人たちです。

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