2017年12月31日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (496) 「クリヤ・チャス」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

クリヤ

kuri-ya?
影・陸


国道 37 号(国道 230 号と重複)で洞爺湖町虻田から豊浦町豊浦に向かう途中にトンネルが二つありますが、虻田側のトンネルの名前が「クリヤ隧道」です。アイヌ語由来のようであり、でも和語由来のようでもある感じがしますが……。

この「クリヤ」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には出てこないものの、「竹四郎廻浦日記」に出てきます。

此所より山道(に)懸るなれ共雪深きが故に船にて出立。
     ホロナイ
此所より陸路本道を行時は山へ上りてホロナイ峠、チャシナイ等いへる処を過て下る(ベンベ)也。船にて是より行に海岸の眺望
     ホロナイ崎
     ク リ ヤ
     フウレシユマ
     アチヱボ
     チヤシナイ
     ヘモヱヒ
     シ ヒ ヽ
     チ ヤ シ
     アルトル
     ベ ン ベ
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.580 より引用)

「ここから先は山道なんだけど雪が深く降り積もっていたので船に乗っちゃったよ(てへぺろ)」と書かれていますね(若干違う)。「クリヤ」は「ホロナイ崎」の次ですが、「ホロナイ崎」は現在老人ホームがあるあたりでしょうか。

また、「東蝦夷日誌」にも次のように記されていました。

フウレシユマ(赤岩)、クリヤ(小澤)、ポロナイノツ(小岬)廻り、ポロナイ(小川)の澤目へ出る。此所にて山道と出合也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.54 より引用)

「初航蝦夷日誌」には次のように記されていました。

クリヤ 奇岩峨々たり。風景よろし。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.251 より引用)

このあたりの記載から考えるに、「クリヤ」は現在老人ホームがあるあたりの西側の窪地、およびその西側を海に向かって伸びている尾根のあたりを指していたと考えられそうですね。どちらかと言えば後者がより正確でしょうか。

さて肝心の「クリヤ」の意味ですが、永田地名解に次のように記されていました。

Kuri ya  クリ ヤ  岩影ノ丘 「クリ」ハ影ナリ、水中ノ岩影ヲ見ルベキ處ノ丘ナレバ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.173 より引用)

ふーむ。永田氏は ya の意味を誤解していたんじゃないか……と後に知里さんから指摘されることになるのですが、kuri-ya で「影・陸」と解釈できる可能性はありそうですね。説明については少々意味不明な感じがするのですが、「クリヤ」の尾根、または「ホロナイ崎」の尾根に日を遮られる時間が長いから、とかじゃないのでしょうか。

チャス

charse-nay?
チャラチャラと滑る・沢
chasi-nay?
砦・沢


国道 37 号(国道 230 号と重複)で虻田から豊浦に向かう途中でトンネルを二つ通過しますが、豊浦側のトンネルの名前が「チャス隧道」です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「チヤシナイ」という川(と思われる)が描かれています。これは chasi-nay (砦・沢)で決まりだろう……と思っていたのですが、事態は意外な方向に展開します(ぇ

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     ホロナイ崎
     ク リ ヤ
     フウレシユマ
     アチヱボ
     チヤシナイ
     ヘモヱヒ
     シ ヒ ヽ
     チ ヤ シ
     アルトル
     ベ ン ベ
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.580 より引用)

地球に優しいコピペで済ませてみました(ぉぃ)。「チ ヤ シ」とあるのが「チャス隧道」のあるあたり……と思いたくなるのですが、仔細に検討を加えてみるとそうではなくて、「チヤシナイ」が「チャス隧道」のあたりだと考えるに至りました。

ところが、「初航蝦夷日誌」を見ていて妙なことに気が付きました。

ヘモヱイ 少しの澗なり。奇岩に而立重りたり。幷而
チヱムイシユマナイ 両脇ニ大岩有て中央少しの澗有
チヤラシナイ 幷而
チヱムイシユマ 幷而
アチホヘ 壁立千仭。重々たり。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.251 より引用)

色々と違いがあるのですが(まず順序からして逆ですし)、素直に読み解けば「チヤシナイ」が「チヤラシナイ」になっていることに気づかれるかと思います。つまり、「竹四郎廻浦日記」にある「チヤシナイ」は、元々は「チヤラシナイ」だった可能性も出てきます。chasi-nay であれば「砦・沢」ですが、charse-nay であれば「チャラチャラと滑る・沢」ということになりますね。

そして、「東蝦夷日誌」では次のようになっていました。

アルトル(崖小川)山の向ふの事也。是カラフト語也。惣て山の向ふの事を相互にアルトルと彼地にては呼なせり。恐くは向ふより此方を呼なしたる名の残りしかと思はる。ツーシレトまたベンベシレト等號く。チヤシ(城跡)廻りてシヒヽ(岸岬)過てヘモエヒ(岩岬)廻りてチヤシユマムイ(小河)、岩湾の義也。また此上にも城跡有りともいへり。上の方高山雑樹陰森としたる山也。チエムイシユマ(小岬)過てアチヤボ(大岬)、此所岩重りて眺望よろし。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.54 より引用)

ar-utor は「山向こうの地」ですが、「是カラフト語也」としているのが興味深いですね。「虻田」の地名解で知里さんが「この地のアイヌは樺太アイヌと同系と考えられる節がある」という仮説を開陳していましたが、奇妙な整合性を感じてしまいます(もちろん偶然の可能性も十分ありますが)。

「東蝦夷日誌」には「チヤシナイ」も「チヤラシナイ」も無く、代わりに「チヤシユマムイ」という謎の新地名が出てきます。……この辺の地名は、かなり揺れ方が激しいですね。

注目すべきは「また此上にも城跡有りともいへり」という一文でしょうか。これは chasi-nay の存在、または誕生を示唆する一文かもしれません。元々 chasi-nay だったのであれば、松浦武四郎が誤謬を修正したことになりますし、逆に元々 charse-nay だったのであれば、これが chasi-nay と誤った瞬間だったのかもしれません。真相は藪の中……でしょうか。

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