2019年11月9日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (676) 「ニオ川・サッコタン川・ペンケシップ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ニオ川

ni-o(-pet?)??
木・多くある(・川)


中川町豊里の北で天塩川に合流する西支流の名前です。永田地名解や「天之穂日誌」には該当しそうな川の記載が見当たりません。

「東西蝦夷山川地理取調図」には、現在の「ニオ川」に相当しそうな位置に「アヨマナイ」という川が描かれています。「アヨマナイ」が「ニオ」に変化したのか、あるいは全く関係が無いのかも不明です。

更にややこしいことに、明治時代の「北海道地形図」には、現在の「琴平川」の位置に「アイオマナイ」という川が描かれています。このあたりの記録は異同が激しく、ちょっと良くわからなくなってきたので、情報を整理してみましょうか。

東西蝦夷山川地理取調図

まず「東西蝦夷山川地理取調図」ですが、東側に「トイヲマヘツ」と「ヘンケトイヲマヘツ」という支流が描かれていて、少し南の西側に「アヨマナイ」という支流が描かれています(現在の「ニオ川」の位置?)。

また「サツコタン」という地名が天塩川の東側に描かれています。

北海道地形図

続いて「北海道地形図」ですが、東側に「パンケト゚イェオマナイ」「ペンケト゚イェオマナイ」「アイオマナイ」が並んで描かれています。現在の「ニオ川」に相当する川は描かれていません。

また「サㇰコタンナイ」という川が、現在の「サッコタン川」の位置に描かれています。

永田地名解

永田地名解こと「北海道蝦夷語地名解」には、「パンケ ト゚イェ オマ ナイ」「ペンケ ト゚イェ オマ ナイ」「アイ オマ ナイ」という川の記録があります。

天之穂日誌

丁巳日誌「天之穂日誌」には「左りの方小川(=東支流)」として「トイヲマナイ」「ベンケトイヲマナイ」が記録されています。

また、「サツコタン」が「右の方小川(=西支流)」として記録されています。これは他の記録と東西が矛盾するものです。

閑話休題(ということで)

ということで一通り資料を見てみましたが、結論としては……良くわかりませんね(ぉぃ)。「アヨマナイ」あるいは「アイオマナイ」は ay-oma-nay で「イラクサ・そこにある・川」だと考えられます(永田地名解にも同様の記述あり)。

本題の「ニオ川」は素直に考えると ni-o(-pet?) で「木・多くある(・川)」あたりになろうかと思います(ni は「木」ではなく「流木」かもしれません)。あるいは、もしかしたらそもそもアイヌ語由来では無いのかも……。

サッコタン川

sat-kotan?
乾いた・村
sak-kotan-nay?
夏・村・川


中川町中部、JR 宗谷線の佐久駅の北を流れる川の名前です(かなりのネタバレ感が)。ということで、まずは「北海道駅名の起源」を見てみましょうか(何故)。

  佐 久(さく)
所在地 (天塩国) 中川郡中川町
開 駅 大正 11 年 11 月 8 日
起 源 アイヌ語の「サㇰ・コタン・ナイ」(夏の村のある所)の上部をとったもので、むかしは漁のため夏の間だけ川岸(天塩川)で生活したのである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.179 より引用)

ええっ!(わざとらしい) sak-kotan-nay で「夏・村・川」ではないか、と言うのですが……。

ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」には「サツコタン」という地名?と「ホンサツコタン」という川が描かれています。また「天之穂日誌」にも次のように記されていました。

     サツコタン
右の方小川一ツ有。此上にむかし土人住せし跡有と。サツコタンは乾枯たる処と云事也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.496 より引用)

あ。天之穂日誌は sat-kotan で「乾いた・村」との説なんですね。「サッ」と「サㇰ」、似てると言えば似てるような気もしますし、それ以前に sak-kotan 自体が「サㇰコタン」とも「サッコタン」とも読めてしまいます。

これは……どちらも決め手にかけると言ったところでしょうか。今日のところは両論併記にするしか無さそうです。

ペンケシップ川

o-puske-p
川尻・破裂させる・もの


遠別町啓明と中川町佐久の間を道道 119 号「遠別中川線」がダイレクトに結んでいますが、この道道の中川町側は概ねペンケシップ川沿いを通っています。ペンケシップ川は中川町佐久のあたりで天塩川に合流する支流の名前です。

明治時代の「北海道地形図」には、同じ場所に「プケシプオ」と記されています。これは右から「オプシケプ」と読むのが正しいのですが、「ペンケシップ」と似ているようで、でもちょっと違うような気もします。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲフシユシナイ」という川が描かれています。「オプシケプ」とそこそこ似ているので、これは同じものと考えて良さそうでしょうか。

「天之穂日誌」には次のように記されていました。

     ヲフセシユケ
右の方小川。此川トイヲマナイの山より落るよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.497 より引用)

「トイヲマナイ」というのが「トイヲマヘツ」のことであれば、今「トヨマナイ川」と呼んでいる川のことになるのですが、これだと東西が完全に逆となります。どうにもこのあたりの「天之穂日誌」の記述には誤りや取り違えが妙に多い印象がありますね。

「ヲフシユシナイ」「ヲフセシユケ」あるいは「オプシケプ」に相当する川名について、永田地名解に次のような記述があることに気が付きました。

Opush kep  オプㇱュ ケㇷ゚  川尻破裂スル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.412 より引用)

えーと、これは o-puske-p で「河口・破裂させる・もの」と読めそうでしょうか。河口に溜まった砂が時折決壊して、また砂が溜まって、ということを繰り返していたのだろうと想像できます。

永田地名解の記述と概ね同じように見えて、実は細かいところが違っていて、この辺を知里さんは気に入らなかったんじゃないかなぁ……などと余計な心配をしてしまいます。

「ヲフセシユケ」については適切な解釈が思い当たりませんが(どこかに誤りが含まれているのかも)、「ヲフシユシナイ」であれば o-pus-us-nay で「川尻・破裂する・いつもする・川」と読めそうです。

本題の「ペンケシップ川」ですが、penke は「川下側の」でいいとして、「シップ」がどうにも不明です。「北海道地形図」に「プケシプオ」と記されていたのにつられて「プシ」を「シプ」としてしまった……とかでしょうか。

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