2019年11月3日日曜日

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「日本奥地紀行」を読む (95) 黒沢(小国町)~市野々(小国町) (1878/7/11~12)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在しますが、今日は引き続き、「普及版」をベースに 1878/7/12 付けの「第十七信」(初版では「第二十二信」)を読み進めます。



泥酔の女

山形県は西置賜郡の小国町にやってきたイザベラ一行ですが、やや旅程に遅れがあると認識していたのか、小国町の中心部からさらに東に向かい、小国町黒沢というところまで歩みを進めました。ところが、そこにはイザベラが期待した「旅館」は存在せず、旅館代わりの農家のひどい有様を目にします。なおも先に進むことを決意したイザベラでしたが、同行する人夫の抵抗に遭い、イザベラは已む無く休憩を強いられることになります。

そこで私は、石の上に腰を下ろし、この地方の人々について一時間ばかり考えていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.207 より引用)

失意の真っ只中にあったイザベラの前に、一人の女が現れます。

一人の女が泥酔してよろよろ歩いていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.207 より引用)

そして、酔っ払った女がイザベラの前に姿を見せたことに対する伊藤少年の反応は意外なものでした。

伊藤は石の上に腰を下ろし、両手で顔をかくしていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.207 より引用)

顔を覆った伊藤少年は、イザベラにその理由を打ち明けます。

気分でも悪いのかとたずねると、彼はとても悲しげな声で答えた。「どうしたらよいのか分かりません。あんなものを見られて、私はとても恥ずかしいのです!」。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.207 より引用)

どうやら伊藤少年は「恥を知る」人物だったようでした。

この少年はまだ十八歳なのに。私は彼がかわいそうになった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.207 より引用)

そんな伊藤少年に、イザベラは憐憫の情を持ったようでした。イザベラの知る伊藤少年は、常にそつなく仕事をこなし、それでいて主人(=イザベラ)の目を盗んで上前をはねることも平気でやりかねない抜け目のない男……という認識だったでしょうから、他所の女の不行跡な有様を恥じる……というのは、やはり意外なことだったのでしょう。

イザベラは、伊藤少年に「日本では女が酔っぱらうことが多いのか」と聞いてみたところ、「横浜にはそういう女がいるが、ふつう家の外には出ないのだ」とのこと。伊藤少年にしてみれば、家の外を酔っ払った状態でふらふら歩いていたのがショックだったようです。

「酒に溺れる女」というのは、どうやら実はよくある話なのだそうで、イザベラは伊藤少年から次のような例があることを教えられます。

そういう女の夫が、月末の支払いに金を渡すと、女は酒でそれを使ってしまう。ときには店に行って酒を買い、米や茶の代金としてつけてもらうのだと言う。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.207 より引用)

現代的に言えば「アルコール依存症」ということになるのだと思いますが、都市部ならともかく、東北の寒村にも普通に存在していたというのは少し意外な感じがします。誰もが普通に酒を醸すことができた時代だった、ということなのでしょうか。

イザベラは、薄汚れた女が屋外で泥酔するという姿には衝撃を受けたようで、「これが私の聞いていた日本なのだろうか」との疑問を抱くに至ります。

それでも、うす汚い着物の女は、休息料としてふつう置くことになっている二銭か三銭をどうしても受け取ろうとしなかった。私が水だけで、お茶を飲まなかったから、と言うのであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.207-208 より引用)

今ひとつ状況を掴みきれないのですが、「うす汚い着物の女」は「休憩所」の「従業員」だった、ということなのでしょうか。イザベラは、チップを払うのが当然のことだと思って「休息料」を渡したのでしょうが……

しかし、むりに金を取らせると、女はそれを伊藤に返した。この罪ほろぼし的な行為を見て、私はだいぶ心の休まる思いをして出発することができた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.207-208 より引用)

「うす汚い着物の女」も職業倫理は持ち合わせていた、ということなんでしょうか。

やむなく休息

イザベラ一行は、黒沢には宿がないと判断し、やはり先に進むことにしました。小国町黒沢から黒沢川沿いを遡り、黒沢峠を越えて市野々(小国町)に向かいます。

沼(黒沢)からここまでは唯の一里半だが、けわしい朴ノ木峠(黒沢峠)を越えねばならない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.208 より引用)

「沼(黒沢)」や「朴ノ木峠(黒沢峠)」という謎な表記は、原文のミスによるものです。原文ではそれぞれ Numapass of Honoki となっていましたが、文脈を考えるとこれは間違いで、それぞれ「黒沢」「黒沢峠」が正しいようです。

何百というごつごつした石の階段を上ったり下りたりする。暗いところでは愉快なことではなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.208 より引用)

暗くなるなかの峠越えとは、イザベラは良く人夫を説き伏せたなぁ……と思わせます。黒沢峠には現在も自動車道路が無いくらいで、黒沢の集落よりも 240 m ほど高いところにある峠に向かってひたすら歩くしか無いのです(そう言えばイザベラはこの時も牛に乗っていたのでしょうか?)。

この峠で私は初めて樺の木を見た。山を下りて、りっぱな橋を渡ると山形県に入った。そしてまもなくこの村に着いた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.208 より引用)

「りっぱな橋を渡ると山形県に入った」とありますが、現在の新潟・山形県境は「沼(関川村)」と「玉川(小国町)」の間にある「大里峠」です。イザベラはこのあたりの地理認識で珍しくミスを犯した、ということでしょうか。

小国町市野々は、現在は「横川ダム」のダム湖である「白い森おぐに湖」の底に沈んでしまっています。イザベラが旅をしたルートで水没しているのは「五十里湖」「大内ダム」に続く三例目でしょうか。

ここでは、頼りない一軒の農家だけが唯一の宿舎である。二部屋を除いて他は全部が蚕を飼う部屋となっているが、この二部屋はとても良くて、庭の小池と庭石が見下ろせる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.208 より引用)

これは……無理を承知で黒沢峠を越えてきた甲斐があったと言うものですね。

私の部屋の難点といえば、部屋を出たり入ったりするときに、もう一つの部屋の中を通らなければならないことである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.208 より引用)

どうやらリフォームの匠が必要な間取りだったということでしょうか。

その部屋には五人の煙草商人が泊まっていて、彼らは煙草を輸送できるまで滞在しており、その間の暇つぶしに三味線というあの迷惑な楽器をかきならしている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.208 より引用)

「三味線というあの迷惑な楽器」とは……久々にイザベラ姐さん絶好調な感じですね! やはり姐さんはこうでないと。

馬も牛も手に入らないので、私はここで静かに今日を過ごしている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.208 より引用)

なるほど、ここ(市野々)で記事がまとまっていたのには、そういう事情があったのですね。

私はたいへん疲労したので、休息できるのは嬉しい。私が背骨の痛みで苦しみ出すと、伊藤はいつも慌てふためき、私が死ぬのではないかと心配した、と後で私が良くなったときに言う。しかし彼は、心配になるとひどく無愛想な態度をとる。それがとても不愉快である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.208 より引用)

伊藤少年には「執事属性」のほかに「乙女属性」も兼ね備えていたことが「黒沢」での一件で明らかになりましたが、新たに「ツンデレ属性」の持ち主であったことも判明してしまいました。「日本奥地紀行」により明かされる伊藤少年の次なる素顔はいかに。イザベラ先生の次回作にご期待ください(完結させてどうする)。

この男は、私がとても奥地を旅行し通せるものではない、と思っているに違いない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.208 より引用)

イザベラが抱いたこの疑惑については、確かに気になるところです。後々明かされることがあるのでしょうか……。イザベラ先生の次回作に(やめい)。

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