2020年5月6日水曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (725) 「赤石・二ノ目川・ブエダウス」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

赤石(あかいし)

hure-suma
赤い・岩
hure-chis
赤い・立岩

(典拠あり、類型多数)

現在の神恵内村は、「珊内村」「赤石村」「神恵内村」が合併してできたもので、それぞれ「大字珊内村」「大字赤石村」「大字神恵内村」として残っています。赤石は、三つの村の中では一番小さく、神恵内村の中心地の北西隣に位置しています。

「赤石」って、どうせ hure-suma で「赤い・岩」なんでしょ、とお思いの方も多いかと思いますが、えー、それはその……ですね(図星か)。「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(四丁半)ニヲモイ(瀧)寄木多きが故號く。ホンシユマイ(崖)、ウルリルキ(岩)、フウレシユマ〔赤石〕(大岩)和人赤岩と云、赤き穴有岩あり。ニキトマリ(磯)、ハトピン、
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.123 より引用)

えーと、「フウレシユマ」という地名が記録されていますね(汗)。「再航蝦夷日誌」にも次のように記録されていました。

     アカイシ
夷人ども元フウレシユマ又はフレウシ等云しが、今は皆アカイシと呼也。是より海岸通り道なし。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.608 より引用)

あー、かなり昔から「アカイシ」と呼ばれていたのですね。そう呼びたくなるような赤い岩があった、と考えるしか無いですよね。

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみると、「ニヲモユ」「ウシヽキナイ」「フレチシ」「ニキトマリ」という地名等が描かれていました。「フレシユマ」ではなく「フレチシ」ですが、「フレチシ」は hure-chis で「赤い・立岩」と考えることもできそうです。suma だけであれば「岩」だったり「石」だったり解釈が分かれることもありますが、chis であればそこそこ目立つ岩だった、と考えられそうですね。

二ノ目川(にのめ──)

ni-o-moy???
寄木・多くある・静かな海

(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)

旧・赤石村と旧・神恵内村の境界となっていた川の名前です。「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 二ノ目(にのめ) 二ノ目川附近。二ノ目という漁場があったので。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.200 より引用)

「二」が続くなぁ……と思っていると、ページ数も「200」だったりして。とりあえず「二ノ目という漁場があった」ことは理解できました。

明治時代の地形図には「ニノメ沢」と記されていました。そこそこ古くから「ニノメ」という名前で認識されていたようです。

これ以上のことはわからないのですが、「西蝦夷日誌」には「ニヲモイ」という地名が「瀧」として記録されています。この「ニヲモイ」が「ニノメ」に転訛した可能性もあったりするかな、と想像しています。

永田地名解には次のように記されていました。

Ni-o moi  ニオ モイ  寄木灣
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.108 より引用)

ni-o-moy で「寄木・多くある・静かな海」と解釈できそうです。もちろん「ニノメ」が ni-o-moy とは全く関係の無い地名である可能性もあるのですが、その場合はすいません……ということで。

ブエダウス

puy-ta-us-i
エゾノリュウキンカの根・掘る・いつもする・ところ

(典拠あり、類型多数)

神恵内村の中心部から「青雲坂」という坂道を登ると小学校と中学校があり、更に高台の道を北西に向かうと「神恵内青少年旅行村」があります。このあたりの住所が「大字神恵内村ブエダウス」なのだそうです(「ブイダウス山ノ上」という表記もあり?)。

意味するところは極めて明瞭で、「東西蝦夷山川地理取調図」や「西蝦夷日誌」に「フイタウシ」とある地名が元だと思われます。puy-ta-us-i は「エゾノリュウキンカの根・掘る・いつもする・ところ」と考えて間違いないでしょう。

「イ」が「エ」に訛り、「タ」が「ダ」に訛るというのは、東北地方北部の流儀との共通点がありそうで面白いですね。

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