2020年5月10日日曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

アイヌ語地名の傾向と対策 (727) 「ヘルカ石・トラセ・ホロシマ・祈石」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ヘルカ石

heroki-kar-us-i
ニシン・獲る・いつもする・ところ

(典拠あり、類型多数)

神恵内村の中心部から国道 229 号で南に向かうと松浦武四郎の歌碑がある……らしいのですが、そのあたりの住所が「ヘルカ石」です。

「東西蝦夷山川地理取調図」に描かれている地名?を右から(南から)並べてみると「ホロシユマイ」「トラセ」「ヘロカルシ」「フルウ」となっています。「フルウ」は「古宇川」のことですから、「ヘロカルシ」が現在の「ヘルカ石」と見て間違いないでしょう。heroki-kar-us-i で「ニシン・獲る・いつもする・ところ」と読めます。

少し気になるのが、「竹四郎廻浦日記」には次のようにある点です。

又岩壁の下を行て、
     イナヲシュマ
     ヘロカロウシ 平磯伝也。
     トラセ
此処一は岬・此岬の上に上るやフルウ運上屋よく見ゆる也。下りて二八小屋五六軒有。岩石伝ひ弐三丁にて、
     フルウ川
川巾弐十間斗、仮橋を架たり。小石川、急流。鮭少し有。鱒・鯇・桃花魚・雑喉多し。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.374 より引用)

「トラセ」と「ヘロカロウシ」の順序が逆になっています。実は「西蝦夷日誌」も同様で……

イナヲシユマ(大岩)、ホロシユマイ、(幷びて)ヘロカロウシ(平磯)、トラセ(小岬)等、皆出稼多く、如何なる處も漁場ならざるなく、
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.120 より引用)

さてどう考えたものでしょうか。大正時代の陸軍図を見ると、竜神岬一帯の地名として「トラセ」だけが記されているので、トラセのほうが大地名としての扱いで、そもそも「ヘルカ石」と「トラセ」の位置関係を云々することは意味が無いのかもしれませんが……。

トラセ

turasi
それに沿ってのぼる

(典拠あり、類型あり)

「トラセ」は現在も住所として使用されていて、竜神岬の一帯を指すようです。国道 229 号をベースに考えた場合は、「ヘルカ石」と「ホロシマ」の間を指すように見られます(疑義もありますが)。

前述の通り、「ヘロカロウシ」との順序関係に若干の異同があるものの、「東西蝦夷山川地理取調図」や「西蝦夷日誌」、「竹四郎廻浦日記」のいずれも「トラセ」と記録しています。意味についても永田地名解に以下のように記されていました。

Torashi  トラシ  登 處 此邊ヨリ「オンネ」ヘ行クニモ古宇ヘ行クニモ岩上ヲ登リ行クヲ以テ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.109 より引用)

やはり、素直に turasi で「それに沿ってのぼる」と考えて良さそうです(もしかしたら turasi-i とかになるのかもしれませんが)。そして「古宇に行くにもオンネ(尾根内大橋のあたり)に行くにも岩を登る」ということから、これはやはり竜神岬か、岬に続く尾根のことを指していると見て良さそうですね。

ホロシマ

poro-suma-o-i??
大きな・岩・多くある・ところ

(?? = 典拠あるが疑わしい、類型あり)

竜神岬の南東側の住所です。近くのバス停の名前は「トラセ」のようですから、やはり「トラセ」のほうが大地名的な扱いなのでしょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホロシユマイ」と言う地名が描かれています。また「竹四郎廻浦日記」には「ホロシユマイ」が無い代わりに「イナヲシユマ」と記されています。一方で「西蝦夷日誌」には「イナヲシユマ(大岩)、ホロシユマイ、」と両者が併記されています。

永田地名解にも次のように記されていました。

Poro shuma nai  ポロ シュマ ナイ  大岩ノ澤
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.109 より引用)

「ホロシユマイ」の「イ」を「ナイ」から来たものではないか、と考えたようですね。ただ、「ナイ」が一般的な「谷川」だと考えると、この解は少し苦しいかもしれません。代わりに出てくるのが更に苦しい解なのですが、poro-suma-o-i で「大きな・岩・多くある・ところ」あたりだったのでは無いでしょうか(-o は自明であるとして省略されたのかもしれません)。

祈石(いのりいし)

inun-us-i
漁のための滞在する・いつもする・ところ

(典拠あり、類型あり)

神恵内村南部の国道 229 号は、村境の「茂岩トンネル」以外を全て廃止して海側に架橋するという大胆なルート変更が行われたところです。北から「尾根内大橋」「魚谷大橋」「弁財澗大橋」「祈石大橋」「神泊大橋」が並んでいますが、そのうち「尾根内」と「祈石」がアイヌ語由来のように思われます(「神泊」は何に由来するか不明)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「祈石」に相当する地名を見つけられませんでしたが、「西蝦夷日誌」には「イヌルウシ(人家)」という記載が見つかりました。また「竹四郎廻浦日記」にも「イヌルウシ」とあり、「再航蝦夷日誌」には「イヌルウ」と記録されていました。

永田地名解には次のように記されていました。

Inun ushi  イヌン ウシ  漁獵ノ假小屋アル處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.109 より引用)

「イヌル」の「ル」をどう解釈したものか……と思っていたのですが、さすが永田先生、あっさりと捨ててきましたね(汗)。「イヌンウシ」が「イヌヌウシ」あたりになって、そこから「イヌルウシ」に変化した、とかでしょうか……?

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

この地名はイヌンウシ,また連声してイヌヌシであったが n→r の転訛で今の名になった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.476 より引用)

転訛のメカニズムが若干不明ですが、やはりそう考えるしか無さそうな感じですね。inun-us-i で「漁のための滞在する・いつもする・ところ」と考えて良さそうな感じです。

前の記事続きを読む


www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事