2020年5月24日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (731) 「有戸・臼別・茅沼」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

有戸(ありと)

ar-utur
もう一方の・間

(典拠あり、類型あり)

「泊村大字泊村有戸」という住所があるようです。MapFan によると泊稲荷神社の北北西あたりのようですが、やや疑わしいかもしれません。と言うのも、「東西蝦夷山川地理取調図」を始めとして、いずれも「ウスヘツ」の北隣に「アリト」と記されていて、現在の「泊村アイスセンター『とまリンク』」のあたりを指しているように思われるためです。

明治時代の地形図を眺めてみると、「とまリンク」の西にあるインド亜大陸を 90 度回転させたような形の岩礁に「アルトル岬」と描かれていました。どうやらこの「アルトル岬」が「有戸」になったと考えられそうです。

永田地名解には次のように記されていました。

Aruturu  アルト゚ル  一半ノ間 古宇岩内二郡ノ境
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.111 より引用)

「古宇岩内二郡の境」とありますが、これはその通りで、かつては現在の「丸山」のあたりが郡境だったようです。「一半の間」という解釈はなんだか良くわからないですが、ar-utur で「もう一方の・間」と言ったところでしょうか。

「アルトル岬」(有戸?)は現在の「稲荷神社」と「アメリカソリ」の中間あたりに位置しています。もしかしたら「稲荷神社」と「アルトル岬」の間が utur (間)で、「アルトル岬」と「アメリカソリ」の間が ar-utur (もう一つの・間)という認識だったのかもしれません(あるいは逆かも)。

臼別(うすべつ)

us-pet
湾・川

(典拠あり、類型あり)

泊村の中心部の地名で、村役場の所在地でもあります。地理院地図には川として描かれていませんが、役場の北側の川が「ウスベツ」だったようです。

「東西蝦夷山川地理取調図」や「西蝦夷日誌」などには「ウスヘツ」あるいは「ウスベツ」との記録があります。永田地名解にも次のように記されていました。

Ush pet  ウㇱュ ペッ  灣川 アイヌ云フ「モイペッ」ニ同シ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.112 より引用)

どうやら「忍路」や「有珠」と同様に、湾という意味の us のようですね。us-pet で「湾・川」と考えられますが、もしかしたら us(-or)-pet で「湾(・のところ)・川」だったのかもしれませんね(何となくそう思っただけですので、スルーしていただければ)。

茅沼(かやぬま)

{kaya-ni}-oma-i
{帆柱にする木}・そこにある・ところ

(典拠あり、類型あり)

泊村南部の地名です(大字茅沼村)。「玉川」という川が流れていて、川を少し遡った先に「茅沼炭鉱」がありました。川沿いに敷設されたトロッコ軌道は、当初は鉄軌条では無かったものの、日本初の鉄道と看做す向きもあります。

「茅沼」という地名は和名っぽい印象があり、実際に永田地名解には記載がありません。ただ「東西蝦夷山川地理取調図」にも「カヤノマ」とあり、「茅沼」という字は「カヤノマ」に当てられただけのようにも見えます。

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

日本語の茅の澗ぐらいの名らしいが,松浦氏の前の紀行の再航蝦夷日誌では「カヤトマリ,夷人カヤノマベツと云」とあり,もしかしたらアイヌ語だったかもしれない。(カヤ「帆」というアイヌ語もあり,帆の形の岩や崖の処の地名に使われることも時々ある)。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.474-475 より引用)

山田さんらしい慎重な書きっぷりですが、一方で更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 茅沼(かやぬま)
 現在はカヤヌマであるが、もとはカヤノマといったところで、沼があったのではなく、アイヌ語のカヤニ・オマ・イで、帆柱にする木のあるところの意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.36 より引用)

ふむふむ。「カヤノマ」の「ノ」がどこから出てきたかと思っていたのですが、{kaya-ni}-oma-i で「{帆柱にする木}・そこにある・ところ」と考えられそうですね。

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