2020年5月30日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (732) 「渋井・茶津(泊村)・ヘロカルウス」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

渋井(しぶい)

simpuy
湧水の穴

(典拠あり、類型あり)
泊村南部の地名で、同名の川も流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき地名が見当たりませんが、「西蝦夷日誌」に次のように記されていました。

チヤツエト(岩岬)の上を越(五丁半)シブイ(灣、近年迄夷家あり)、船澗よろし。譯、涌水有て井戸をなす事なり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.115 より引用)
なんとありがたいことに解釈までしっかりと記されていました。異論は無いのですが、念のため永田地名解も見ておきましょうか。

Shin Pui  シン プイ  井泉 灣内ニ涌泉アリテ井戸トナシタル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.113 より引用)
はい。「渋井」は simpuy で「湧水の穴」と考えて良さそうですね。

茶津(ちゃつ)

chasi

(典拠あり、類型あり)
泊村南部、泊原発の入口あたりの地名です。今回は「東西蝦夷──」を見る前に、先に「西蝦夷日誌」を見ておきましょう。

廻りてチヤツナイ(小川、番や、船澗よろし、蔵々、いなり社あり、近年迄夷家有、新道此所へ下る)、澗内暗礁多く、人家立ならびて繁昌也。又坂に上る。チヤツエト(岩岬)の上を越(五丁半)シブイ(灣、近年迄夷家あり)、船澗よろし。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.115 より引用)
渋井と茶津の間に「茶津トンネル」がありますが、茶津トンネルの上あたりが「チヤツエト」だったのでしょうね。「チヤツナイ」は「再航蝦夷日誌」では「チヤシナイ」となっているので、やはり chasi-nay で「砦・川」と考えて良いかと思います。同様に「チヤツエト」も chasi-etu で「砦・鼻(岬)」となるでしょうか。

永田地名解には次のように記録されていました。

Chashi kot  チャシ コッ  砦柵 岩岬上ナル野原ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.113 より引用)
chasi-kot は「砦跡」と解釈されるのが一般的ですが、永田方正は「砦柵」(さいさく)と解釈したのですね。なぜ「跡」というニュアンスを含めなかったのでしょう……?(単なる見落とし?)

ヘロカルウス

heroki-kar-us-i
ニシン・獲る・いつもする・ところ

(典拠あり、類型あり)
「茶津」は泊原発の北側の地名でしたが、泊原発の敷地内には「ヘロカルウス」という住所が健在です(Google Map 等で確認できます)。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

石の上飛越𨑥越行、ユウツコトマリ(小澗)、ヒロカロウシ(灣あり、人家有)、鯡取多し。茶店・酒樓等あり、繁昌也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.115 より引用)
ヒロカロウシ……。「兄が疲労」かと思ってしまいますが(思いません)、「東西蝦夷山川地理取調図」では「ヘロカロウシ」となっていました。

永田地名解には次のように記録されていました。

Herok’kar’ushi  ヘロㇰカルシ  鯡場
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.113 より引用)
いかにも永田っちらしいざっくりした解釈が素敵ですね。heroki-kar-us-i で「ニシン・獲る・いつもする・ところ」になろうかと思います。道内の日本海側にはあちこちで見られる地名の一つですね(石狩市浜益とか)。

永田地名解には「ヘロㇰカルシ」と記されている場合が多いので改めて確かめてみたのですが、「ニシン」を意味する語彙は heroki であって、herok としているものが見当たらないんですよね。ということで今回も Herokheroki としています。

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