2021年1月11日月曜日

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「日本奥地紀行」を読む (111) 金山(金山町) (1878/7/17)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十九信」(初版では「第二十四信」)を見ていきます。

医師資格

蓄積した疲労などにより金山で事実上「ダウン」したイザベラは、16 km ほど手前の新庄から「お取り寄せ」した「ノソキ医師」の診察を受けました。イザベラはちゃっかりと日本における医師免許のあり方について紹介した後に、「ノソキ医師」についての考察を始めます。

 野崎医師は旧式の医師の一人である。彼の医学上の知識は、父から子へ相伝のもので、西洋流の方法や薬に対して、あくまで抵抗している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.231 より引用)
以前にも記しましたが、原文では Dr. Nosoki となっていて、それを高梨さんは「野崎医師」と訳したようですが、異説もあるようです。

西洋医学 vs 東洋医学

イザベラの文を読む限り、「ノソキ医師」は東洋医学の考え方を受け継いでいるようで、東京の医学校が西洋医学の考え方を元に免状(医師免許)を発行しているという話と若干整合性が合わないようにも思えます。

親から東洋医学の知識を受け継いだ上で、西洋医学に基づく教育を受けて医師免許を得たのであれば、ある意味最強にも思えるのですが、「西洋流の方法や薬に対して──抵抗している」というくだりを読むと、どうにも話が噛み合わないですね。「ノソキ医師」は無免許の医師だったのでしょうか……?

外科手術、特に手足の切断に対する強い偏見は、日本全国に存在している。手足切断について人々は、人間はこの世に五体満足の身体で生まれてきたのだから、そのままの姿であの世に行かねばならぬ、と考えている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.231 より引用)
イザベラのこの指摘には「へぇ、そうなのか」と認識を新たにしました。現代においては必ずしもそうではない……と思っていますが、それでも諸外国、あるいは西洋諸国と比べると「切断」に対する抵抗が大きいのかもしれませんね。

 これら古い世代の医師たちは、書籍から学ぶ以外は人間の身体の構造について何も知らない。日本医学では解剖は知られていないからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.231 より引用)
前野良沢が和訳した「解体新書」は画期的な存在だった、ということが改めて理解できます。

お医者の話では、急性の病気の治療には、主として艾(もぐさ)を使ってお灸をしたり針療治をしたり、慢性の病気のときには、皮膚の摩擦、湯治、動物や植物から作った薬、あるいは食事療法をやるとのことである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.231 より引用)
そう言われてみると、西洋医学が「麻酔をして切除」というある意味即物的な対処を行うのに対して、東洋医学は患者の免疫力や自然治癒力を高めるというアプローチでしたね。なるほど、切開手術などの考え方が出てこない筈です。

現代に生きる我々は「どちらのアプローチが正しいか」という問いに対する答を既に持ち合わせていたかと思います。得体のしれない民間療法を除外したならば、どちらのアプローチも一定の効能があり、適材適所でともに活用するのが正解……ですよね。

鉱物性の薬

イザベラは「ノソキ医師」の医療に対する考え方について、更に具体的に綴っています。

彼はまた、鉱物性の薬に対して明らかにその効果を疑っているようであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.231-232 より引用)
「鉱物性の薬」には日頃から良くお世話になっていますが、その効果を疑うということは、やはり西洋医学に対する誤解があると解釈できてしまいますね。

彼は、クロロホルム(麻酔薬)のことは聞いてはいるが、まだ使用されるのを見たことがなく、妊婦の場合には、母にも子にもきっと致命的なものになるにちがいない、と考えている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.232 より引用)
妊婦に対してクロロホルムを投与するのが「正しい医療行為」であるかどうかの知識はあいにく持ち合わせていないのですが、例えばサリドマイドのように、妊婦に対して投与することを禁忌とする薬品は確かに存在しますよね。

もっとも、「ノソキ医師」が「クロロホルムは妊婦に投与されるべきではない」と考えていることが、単に偏見から来る誤解であろうことも容易に推察できます。実際に、イザベラに対して次のように述べたようです。

私は前にも同じ質問を二度もされたのだが、西洋人はそれを使用することによって余分な人口を抑えようとしているのではないか、と彼は私にたずねた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.232 より引用)
これでは陰謀論丸出しのようにも見えますが、患者を眠らせてその間に臓物を切り出すという「悪魔の所業」の使い手の言い分は素直に受け入れられない……というのも理解できなくは無いですよね。

「ノソキ医師」の薬箱

話題は「鉱物性の薬」を信用しない「ノソキ医師」の薬箱に移ります。

彼は、朝鮮人参や犀の角、ある種の動物の肝臓を粉にしたものの薬効を強く信じている。この動物というのは、その描かれている姿から判断すると、虎ではないかと思われた。これらはすべて中国流医術の特効薬である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.232 より引用)
「動物の角を削った粉」に薬効があるという考え方は、昔も今も良く耳にしますが、これについては実際のところどうなのでしょう……? 「ノソキ医師」が取り出したのは「犀の角」どころではなく……

お医者は私に、「一角獣」(麒麟)の角が入っている《!》という小箱を見せてくれたが、それは同量の金と同じ値段がするという。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.232 より引用)
「一角獣」には「ユニコーン」というルビが振られていたのですが、「ユニコーン」も、また「麒麟」も「想像上の動物」ですよね(「麒麟」と「キリン」は異なります)。こういった話を見聞きしてしまうと、イザベラが東洋医学を「いんちき」「まがい物の薬」と全否定するのも宜なるかな、なんですよね。

ところがイザベラは(前回にも記したとおり)「ノソキ医師」の医療を高く評価し深く感謝していました。この心境の変化について、想定される理由はほぼ一つに絞られるのですが……

彼の洗い薬をつけると時期を同じくして私の腕も快方に向かったのだから、私は治療の功績を彼に帰さねばなるまい。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.232 より引用)
ああ、やはり。「ノソキ医師」の「洗い薬」は植物性のものだったと考えられますが、きちんと効能のあるものを処方していたのでしょうね。

正しい食事の味わい方

イザベラは新庄から「お取り寄せ」した「ノソキ医師」を食事に招待しました。

 私は彼を食事に招待した。二つの食卓にはいろいろの料理が並べられた。彼はそれをおいしそうに食べた。骨の多い小魚から肉をとって食べるときの箸さばきは、実に非凡な腕前であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.232 より引用)
イザベラは「ノソキ医師」のことを「育ちが良く礼儀正しい」と認識していて、実際にその通りであったことが語られているのですが……

おいしい御馳走であることを示すために、音を立てて飲んだり、ごくごくと喉を鳴らしたり、息を吸いこんだりすることは、正しいやり方となっている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.232 より引用)
最近はどうだったか記憶が定かではないですが、一昔前のビールの CM なんかだと、実際に喉をグビグビ言わせながら一気に飲み干すシーンなんかを良く見かけましたよね。ただ、欧米的な感覚では、こういった「作法」は下品の極みで、イザベラは「まことに気の滅入ることである」と記していました。

イザベラは「ノソキ医師」の「不作法」が文化の違いによるものであることを理解していましたが、「育ちがよく礼儀正しい」筈のノソキ医師が(イザベラから見て)極端に不作法な飲食を行う姿を目にして、「もう少しで笑い出すところであった」と締めていました。

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