2021年1月10日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (797) 「アツカルウシナイ川・オタルマタセツ川・瀬越」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

アツカルウシナイ川

at-kar-us-nay
おひょう楡の樹皮・剥ぐ・いつもする・川

(典拠あり、類型あり)

留萌市の「浜中運動公園」の南側を流れる川の名前です。「浜中」も ota-noske だったりしないのかな……と思ったのですが、明確にそのように記載された資料を見つけることができませんでした。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「アツカルシナイ」という名前の川が描かれていました。また西蝦夷日誌にも次のように記されていました。

過て(一丁)ポンナイ、(幷て)ポンアツカルウシナイ、(二丁廿間)アツカルウシナイ(共に小川)、名義、楡皮を取る川との義。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.249 より引用)

この西蝦夷日誌の記述ですが、「セタベツ」の次に「ポンナイ」と「ポンアツカルウシナイ」があり、続いて「アツカルウシナイ」があるように読めます。改めて地形図を見てみたのですが、やはり「セタベツ」と「アツカルウシナイ」の間に川が二つあったようには見えないんですよね……(現在は「モタセツ川」が流れています)。

本題に戻りましょう。ほぼ答は出ているような気もしますが、永田地名解も見ておきましょうか。

At kar'ush nai  アト゚ カルㇱュ ナイ  楡皮ヲ取ル川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.395 より引用)

ほぼ答は出ていましたね……(汗)。at-kar-us-nay で「おひょう楡の樹皮・剥ぐ・いつもする・川」と考えられそうです。

オタルマタセツ川

ota-ru-oma-{seta-pet}
砂・道・そこにある・{セタベツ川}

(典拠あり、類型あり)

「浜中運動公園」の北を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲタルヲヌセタヘツ」という名前の川が描かれています。どこか……おかしい感じがしますよね。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(四丁四間)ヲタルヲマセタベツ(小川)、譯て沙路有犬川の義。往古ヲタベツより神の遣しめの犬出來り、此沙地に跡をつけて、此川よりまた山に人し故號ると。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.249 より引用)

あー、なるほど。「東西蝦夷──」の「ヲタルヲヌセタヘツ」は何かおかしいなぁ……と思ったのですが、「ヌ」が「マ」の誤描だったとしたら納得が行きます。「ヲタルヲマセタベツ」は ota-ru-oma-{seta-pet} で、「砂・道・そこにある・{セタベツ川}」ということでしょう。つまり、この川は本家「セタベツ」の亜種と考えられていた、と言えそうです。

瀬越(せごし)

sam-sut??
傍・根元

(?? = 典拠なし、類型あり)

2016 年に JR 留萌本線の留萌-増毛間が廃止されましたが、留萌駅から見て廃止区間の最初の駅が「瀬越駅」でした(留萌市の西側、瀬越浜の近くに駅がありました)。ということで、まずは「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  瀬 越(せごし)
所在地 留萌市
開 駅 大正15年7月1日 (臨)
起 源 町名の「せごし」からとったものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.103 より引用)

……。気を取り直して「北海道地名誌」を見てみましょうか。

 瀬越浜(せごしはま) 留萌市街隣接の外海浜。⇒瀬越町(字名)
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.371 より引用)

ふむふむ。ということで「瀬越町」の項目を見てみると……

 瀬越町(せごしちょう) 瀬越浜沿いの街なみ。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.372 より引用)

そう来ましたか……。世の中甘くは無いですね。

「腕のように曲がったところ」

もう一度気を取り直して。「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(十丁五十間)セモシ(崖下、是より運上屋前へ山越道有)、本名セムシユツ、名義、腕の様成曲りし處を云也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.250 より引用)

ふむ……。確かに明治時代の地形図には「セモシ」と描かれていました。また「東西蝦夷山川地理取調図」も同様に「セモシ」でした。ただ「腕のように曲がったところ」というのは今ひとつ良くわからないですね。

「セゴシ」は「セモシ」、「セモシ」は「セムシ」?

「再航蝦夷日誌」には次のような記載もありました。

扨また先の
     セムシ
訛而セムイと云也。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.78 より引用)

どうやら「セモシ」は元々「セムシ」だった、という説もあるようです。「セモシ」あるいは「セムシ」という地名が他に無いか調べてみた所、稚内市の「東浦漁港」の北あたりに「セムシ」と記録された地名があったとのこと。また、古宇郡泊村の「兜岬」の東には「セムイ泊」という名前が記録されていました。

更に「竹四郎廻浦日記」によると樺太にも「セムシユ」という「砂浜」がある、としています。数は多くないのですが、道内や樺太に「セムシ」あるいは「セムイ」が点在していたみたいです。

「セムシ」の共通点は

これらの「セムシ」あるいは「セムイ」の共通点は何だろう……ということですが、真っ先に思ったのが「海沿い」ということです。とは言っても、まずは海沿いから探索を行うことが多いことを考えると当たり前じゃないか……とも思えてくるのですが、もう少し条件を絞ると、どれも「岬」のような地形の近くに思えてきました。

古宇郡泊村の「セムイ」は兜岬の近くですし、稚内市東浦の北にも岬と呼べそうな山が聳えています。樺太の「セムシユ」の現在位置は良くわかりませんが、良く見ると……

     エンルンカ 小岬
     ルフ子シユマウニ 小川
     セムシユ 砂浜
     セツトシナイボ 小川
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.256 より引用)

あ。「エンルンカ」の近くと言えば近くなのかもしれません(距離は不明ですが)。そして「瀬越」の場合も、「黄金岬」のすぐ近くなんですよね。

岬と言えば

「岬」で「セム」と言えば……あ、not-sam という地名がありましたよね。not-sam は「岬・そば」と解釈できるのですが、not-sam-sut で「岬・傍・根元」だったとしたらどうでしょう。

やがて not-samnot- が「自明である」として略されるようになったならば、sam-sutsam-i の出来上がりです。「瀬越」は sam-sut で「傍・根元」だったのかな、と思えてきました。

「腕のように曲がったところ」ふたたび

ここで気になるのが「西蝦夷日誌」の「腕のように曲がったところ」なんですが、そう言えば似たような話をどこかで聞いたような気がします。もしかしたら「礼受」とごっちゃになったのでは……?

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