2021年1月2日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (794) 「彦部・阿分」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

彦部(ひこべ)

siko-p??
生まれる・ところ
si-(u-)kot-pe???
主たる・(互いに・)くっつく・もの(川)

(?? = 典拠あるが疑わしい、類型未確認)(??? = 典拠なし、類型未確認)

国道 231 号は増毛町舎熊と阿分の間の信砂川を「彦部橋」で渡っています。地理院地図では橋の名前として確認できるのみですが、1980 年代の土地利用図には「ヒコベ」という地名が記されていました。

良く見ると、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シコヘ」という地名?が描かれているほか、「西蝦夷日誌」にも「シコベ」と記録されていました。

永田地名解にも次のように記されていました。

Shiko be  シコ ベ  生ム處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.392 より引用)

えっ……と思ったのですが、siko で「目が開く、目が見えるようになる」という意味があり、それが転じて「成長してものごとがわかるようになる」と解釈できるのだとか。この解釈は田村すず子先生の「アイヌ語沙流方言時点」からの引用ですが、続いて少し気になることが記されていました。

☆参考 síko シコ が生まれることを言うのに使われた例は未出。生まれることは最も普通には an アンと言う。〔知分類 人間 p.81 siko シコ うまれる ((ホロベツ)) [雅] 〕
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.631 より引用)

うーむ、確かに知里さんの「人間編」には次のように記されています。

§139.うまれる
(1)siko (-an)〔ši-kó シこ〕[sik(目)+o(つく)]《ホロベツ》【雅】
  注.──親のことを aesikop[a(我ら)+e(それによって)+siko(生れ出た)+-p(者)]と云う。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 II『分類アイヌ語辞典 人間編』」平凡社 p.81 より引用)

知里さんは「siko を『生まれる』とする古典的な解釈があるよ」としたものの、それに対して田村さんは「siko が『生まれる』という意味で使われた例は未確認だよ」とした、ということですよね。

ちなみに知里さんと田村さんの名前が「共編者」として出てくる「アイヌ語方言辞典」には、「うまれる」の意味として sik 'o(美幌)、án ; síko(旭川)、síko(名寄・宗谷)、sikah(樺太)などの語彙が記録されていました。知里さんは永田地名解から語彙を拾ったのか(実際にそういう例がある)と思ったのですが、そういう訳でも無さそうですね。

生まれるところ?

永田地名解は siko-p で「生まれる・ところ」だと言うのですが、地名としては今ひとつ釈然としない感が拭えません。平たく言うと「らしくない」ということなんですが、好意的に解釈すれば信砂川が運んできた土砂で土地が「生まれるところ」と捉えられなくは無いかもしれません(但し類型を知りません)。

より「伝承」に近い地名だと考える余地もありそうです。「彦部」の北東に「阿分」という地名がありますが、それと対になって「生まれるところ」と呼んだ、という可能性もあるかもしれない……と漠然と考えたりもします(詳しくは「阿分」の項で)。

交尾する川?

また、永田地名解の「生むところ」を全否定するならば、u-kot-pe で「互いに・くっつく・もの(川)」と考えられるので、si-(u-)kot-pe で「主たる・(互いに・)くっつく・もの(川)」だった可能性もあるかもしれません。

地名では o-u-kot-pe で「尻(河口)・互いに・くっつく・もの(川)」となるケースが多いですが、これを知里さんは「陰部を・互いに・くっつける・もの」として「交尾している川」と解釈していました。交尾した結果「生まれる」という流れだったりして……。

阿分(あふん)

ahun-i?
入り込んでいる・ところ
ahun-i?
あの世への入口・のところ

(? = 典拠あるが疑わしい、類型あり)

国道 231 号の「彦部橋」で信砂川を渡って北東に向かうと、程なく「元阿分」に入ります。「元阿分」から北北東に向かうと「阿分」ですが、地理院地図には「元阿分」の文字が無く、どちらも「阿分」になっているようです。国鉄留萌本線にも「阿分」という仮停留場がありましたが、仮停留場は礼受駅からほど近い「阿分」側にありました。

「元阿分」側には「信砂」という名前の仮停留場がありました。

この「阿分」は、なぜか「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき記載がありません。ただ明治時代の地形図には「アフニ」という地名?と「阿分」という村名が描かれていました。

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

番屋一棟(梁五間、桁九間)昼所一棟(梁三間、桁四間半)、茅くら一棟、板くら一棟、崖下をしばし行て、
     アフンチリ
     アフシラリ
小川有。上は崖、其下に二八小屋有。此処マシケ、ルヽモツヘ境目のよしにて標柱を立たり。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.488 より引用)

「東西蝦夷山川地理取調図」には「シユシユシナイ」(シシナイ川)と「アフシラリ」(アップシラリ川)しか描かれていませんでしたが、「竹四郎廻浦日記」にはその間に「アフンチリ」という地名?が記録されています。

永田地名解には次のように記されていました。

Ahuni, =Ahun-i  アフニ  入リ込ミタル處 阿分(村)ト云フハ訛リナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.392 より引用)

確かに ahun-i で「入り込んでいる・ところ」なのですが、地名において ahun と言った場合、「あの世への入口」に類する解釈が良く見られます。

あの世への入口

知里さんの「──小辞典」にも、次のように記されていました。

ahun-ru-par, -o アふンルパㇽ 【H 南】もと‘入る道の口’の義。あの世への入口。多く海岸または河岸の洞穴であるが,波打際近くの海中にあって干潮の際に現われる岩穴であることもあり,また地上に深く掘った人工の竪穴であることもある。この種の穴は各地にあり,そこを通ってあの世から死者の幽霊が出て来たり,この世の人があの世へ行って来たりする伝説がついていて, そこへ近づくのはタブーになっている。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.4 より引用)

ということで、ahun-i は「あの世への入口・のところ」である可能性もあるんじゃないかと思われるのですね。

更科源蔵さんは「アイヌ語地名解」にて次のように記していました。

アフンというと入り込んでいるということで、地獄に通ずるという穴の入口を、アフン・ル・パㇽ(入る道のロ)といっているが、この土地にそうした洞窟があったと伝えられている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.139 より引用)

「アフンルパㇽ」に関する詳細は「あの世の入口 ──いわゆる地獄穴について──」という論考があり、知里さんの「和人は舟を食う」という単行本で読むことができます。この中では道内各所の「アフンルパㇽ」について取り上げているのですが、なぜか増毛の「阿分」については記載がありません。

比較神話学という視点からも興味深い内容ですので、気になった方はぜひご一読を。

「あの世からの出口」は存在したか?

「彦部」の項で「『彦部』の北東に『阿分』という地名がありますが、それと対になって『生まれるところ』と呼んだ、という可能性もあるかもしれない」と書きましたが、「あの世への入口」があるならば、その近くに「生まれ変わって出てくる出口」があっても不思議では無いだろう……という発想によるものです。

ただ、前述の「あの世の入口」に改めて目を通してみましたが、ブラックホールに対するホワイトホールのような存在についての記載があったかと言われると、あったとも言えず、無かったとも言えず……と言った感じでしょうか。

アフンルパㇽは「あの世への入口」ですが、この手の話で良くあるように、途中で引き返したり別ルートに入ることで現世に戻ってこられるようになっています。大半の伝承では「入口」からひょっこり戻ってくるという筋書きのようですが……。

「あの世への入口」は実在した?

ちなみに、先日部分的に廃止された JR 留萌線には「阿分トンネル」というトンネルがありました。車で国道を走っていて「あの世への入口がある!」と気づいてビビったものですが、そう言えばその少し後に派出所脇でサイン会に強制参加させられたような記憶が……(何やってんだか)。

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