2021年1月9日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (796) 「礼受・セタベツ川・モタセツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

礼受(れうけ)

rewke-p
曲がっている・ところ

(典拠あり、類型あり)

増毛町阿分からアップシラリ川を渡ると、留萌市礼受に入ります。

2016 年に JR 留萌本線の留萌-増毛間が廃止されましたが、廃止時点では留萌-増毛間に 7 駅が存在しました。ただ、1921 年に留萌から増毛まで開通した際には、間には 2 駅しかありませんでした。礼受は 1921 年の開通時から存在する、当該区間ではもっとも歴史の長い駅の一つです(もうひとつは舎熊駅)。

ということなので、まずは毎度おなじみ「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  礼 受(れうけ)
所在地 留萌市
開 駅 大正10年11月5日 (客)
起 源 アイヌ語の「レウケ・プ」(曲がっている所)から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.103 より引用)

ふむ。rewke-p で「曲がっている・ところ」なんですね。確かにそう読めるのですが、果たして何が曲がっているのか、ちょっと謎が残ります。

永田地名解には次のように記されていました。

Reukep  レウケㇷ゚  曲リタル處 岬出デヽ曲リタル處ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.394 より引用)

岬……確かに「黄金岬」がありますが、礼受からは結構距離がありますね。礼受駅はアップシラリ川のすぐ北側、留萌市と増毛町の境界あたりにありましたが、本来の「礼受」はもう少し北側の、「礼受漁港」のあるあたりだったと考えられそうですね。

ここは黄金岬からまっすぐ続いていた砂浜が曲がっているところなので、そのことを指して rewke-p と呼んだ、と考えられそうです。

セタベツ川

seta-pet?
犬・川
setakko-pet??
ずいぶん長い間・川

(? = 典拠あるが疑わしい、類型あり)(?? = 典拠なし、類型あり)

礼受漁港の東、砂浜が曲がり始めるあたりで海に注ぐ川の名前です。seta は「」で pet は「」ですから、seta-pet だと「犬・川」ということになりそうですが……。

永田地名解には次のように記されていました。

Seta pet  セタ ペッ  犬川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.394 より引用)

ですよねー……。また「西蝦夷日誌」にも次のように記されていました。

平(小休所)、幷て(三丁四十間)セタベツ(川幅三間計、夷人三軒有)、犬川の義あり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.249 より引用)

ですよねー……(汗)。この「セタベツ川」ですが、記録ではいずれも「犬・川」となっていて、他に解釈のしようが無さそうに見えます。地名においても seta(犬)は時折出てきますが、「なぜ犬なのか」という必然性については明らかで無いものが多いように思えます。

seta によく似た語彙としては、「エゾノコリンゴ」を意味する setar というものがあり、こちらも地名にちょくちょく出てきます(setar 単独よりも setan-ni で「エゾノコリンゴ・の木」のほうが良く出てくるでしょうか)。今回の「セタベツ」も setan-ni-us-pet-ni-us が略された結果、という可能性もゼロではありません。

ただ、それよりも気になったのが、初山別村にある「セタキナイ川」との類似性です。「セタキナイ川」は setakko-nay で「ずいぶん長い間・川」だとされるのですが、めちゃくちゃ平たく言えば「実は奥が深い川」という意味っぽいんですよね。

この「見た目はそうでも無いけど実際に入ってみるとめっちゃ水源まで遠い」という特徴は、セタベツ川にもすごく当てはまるような気がするのです。setakko-pet で「ずいぶん長い間・川」だったのが、やがて寓意が失われたか seta-pet と略されるようになった……と考えたいのですが、いかがでしょうか。

モタセツ川

mo-{seta-pet}??
小さな・{セタベツ川}

(?? = 典拠なし、類型あり)

セタベツ川の北隣を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には記載が無く、また「西蝦夷日誌」や永田地名解にも記載が見当たりません。

少し気になるのが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「セタヘツ」と「アツカルシナイ」の間に「ホンナイ」という川が描かれている点です(この位置は現在の「モタセツ川」に相当すると思われます)。

また永田地名解でも「セタ ペッ」と「アト゚ カルㇱュ ナイ」の間に「ポン アト゚ カルㇱュ ナイ」という川が記録されています。どうやら幕末から明治の頃は pon-at-kar-us-nay あるいは pon-nay だったのが、いつの間にか「モタセツ川」に化けたと考えられそうです。

「西蝦夷日誌」には「ポンナイ、(幷て)ポンアツカルウシナイ」とあったので、やはり別物と考えるほうが妥当かもしれませんが……。

となると「モタセツ川」の原義をアイヌ語に求めるのは筋が悪いようにも思えますが、かと言って純粋な和名由来と考えるのもしっくり来ません。かなり強引な推論ですが、「モタセツ川」は mo-{seta-pet} で「小さな・{セタベツ川}」だったのでは無いでしょうか。もともと pon-at-kar-us-naymo-seta-pet という二つの呼び方があったんじゃないか……と考えたくなります。

「モセタペッ」が「モタセツ」に化けるには「セ」と「タ」の音韻転換を前提にしないといけませんが、近くに似たような例があるっぽいので(詳細は明日にでも)、十分あり得るんじゃないかなぁ、と思っています。

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