2021年1月1日金曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

「日本奥地紀行」を読む (110) 金山(金山町) (1878/7/18)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十九信」(初版では「第二十四信」)を見ていきます。



医師資格

金山の町に「一日か二日」滞在することにしたイザベラでしたが、疲労困憊で実はリタイア寸前というピンチに陥っていたのでした。進退窮まったイザベラは医師の診察を受けることにしましたが……

 七月十八日──咬まれたり刺されたりしたために痛みと熱が烈しかったので、昨晩日本の医者を新庄から呼んで診てもらうことができて嬉しかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.229 より引用)

なんと、イザベラが「あわれな町」と評した新庄から医者を呼び寄せたとのこと。いやー、さすが姐さん、VIP 待遇じゃないですか。医者の手配も伊藤の仕事だったのですが……

伊藤は、何か「でっかい」通訳をするときにはいつもより二倍も大きく見えるし、いつもそのために絹の袴を着るのだが、全部絹物の着物をつけた中年の男を連れて戻ってきた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.229-230 より引用)

医者を手配してもらって嬉しかったイザベラ姐さん、伊藤の「勝負袴」の秘密を白日の下に晒してしまいましたね……(汗)。ここぞ!という時に服装で勝負に出るあたり、才知に長けた伊藤らしいなぁ、と思えてきます。

彼は三度地面に平伏し、そうしてから膝をついた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.230 より引用)

伊藤が新庄から連れてきた「医師」は随分と腰の低い人物だったようです。腰が低いと言うよりも、イザベラに萎縮していたようにすら見えます。

伊藤はくどくどと、私の受けた災難を説明した。すると野崎(ノソキ)医師は、私の「御手」をみせてください、と言った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.230 より引用)

医師の名前は「野崎」とありますが、原文では Dr. Nosoki となっていました。実は「楠」が正しいのではないか、との説もあるとのこと。

彼はそれを注意深く診察し、次に私の「御足」をしらべた。彼は私の脈搏をはかり、拡大鏡で私の眼を見た。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.230 より引用)

これを見た限りでは、普通に西洋風の診察を受けられたようですね。ただ診断結果はイザベラを驚かせるものではなく……

それから息をぐっと吸い込んで──これは育ちの良さと礼儀正しさを示すのだが──、だいぶ熱があります、と言った。それは前から私にも分かっていた。それから、休息しなければいけない、と言ったが、これも私には分かっていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.230 より引用)

「ですよねー」と相槌を打ちたくなるようなものだったようです。診断結果の説明は尚も続き……

それから彼は煙管に火をつけて、私をじっと見つめた。やがて彼は、またもや私の脈をはかり眼を見て、雀蜂に刺されて腫れているところに触り、だいぶ炎症を起こしている、と言った。それは私には痛いほど分かっていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.230 より引用)

またしても「ですよねー」という話になりました。傍から見ていると「本当にこの医者で大丈夫なんだろうか」と思えてしまうのですが……

彼は三度手を鳴らした。その音を聞いて車夫が姿を現わして、医師が羽織の上に白ぬきでつけていると同じ紋を金で描いてある黒い漆器のりっぱな箱をもって出た。この中には金色のりっぱな漆器の薬箱が入っていて、棚や引き出し、瓶などが備えつけてあった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.230 より引用)

随分と芝居がかった様子で薬箱を取り出して……

まず彼は洗い薬を調合し、それを私の手と腕につけ、たいそう手ぎわよく包帯をして、痛みが和らぐまでときどき包帯の上から洗い薬を注ぐように、と私に言った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.230 より引用)

「手際よく包帯を巻いた」とのこと。もしかしたら、実はかなり優秀なお医者さん……?

それから彼は、解熱剤を調合した。これは純粋に植物性であるから、私はためらわずに飲んでいる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.230 より引用)

すぐ後で明かされるのですが、この「野崎医師」は「旧式の医師」の一人でした。「植物性の解熱剤」というのは生薬系のものと思われるのですが、漢方を「いんちき」と決めつけていたイザベラにしては、妙に好意的に記しているのが興味深いですね。

彼はそれをお湯とともに飲むこと、また一日か二日は酒を慎むがよい《!》、と私に告げたのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.230-231 より引用)

ん、イザベラが旅の間に酒を嗜んでいる描写は記憶にないのですが(見落としてる可能性が高い)、実はワインを携行していたりしたのでしょうか。

さて、疲労困憊、満身創痍のイザベラは 16 km ほど手前の新庄から医師を「お取り寄せ」したわけで、当然ながらそのお代を支払う必要があります。

私は彼に、料金はいかほどか、ときいた。彼は何度も頭を下げたり、何かぶつぶつ言ったり、息を吸い込んだりしてから、五十銭では高すぎましょうか、とたずねた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.231 より引用)

イザベラの前で萎縮している医師の姿が目に浮かびますが、今でもこういった気質の「商売下手」な人は偶に見かけるような気がします。イザベラは、この医師の姿勢に戸惑いを覚えながらも……

私は、彼に一円を差し出し、私も深々と頭を下げながら、彼に診察していただき非常にありがたく思っている、と言ったが、彼があまりにも深く感謝するので、私はまったく当惑してしまうほどであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.231 より引用)

……診察と治療について、素直に感謝していたようです。ここからは推測でしか無いのですが、イザベラが「ノソキ医師」に感謝したのは、医師の調合した「解熱剤」がちゃんと作用したのではないか、と思ったりもします。そうでなければ、イザベラのことですから「植物系の解熱剤」を「いんちき」とか「まがい物の薬」と非難したに違いないと思えるのですね。

「まったく当惑してしまうほどであった」に続く部分は、「普及版」では一部カットされていました。当時の日本における「医師免許」のあり方についての記述です。

 医者は東京の医学校が全国どこででも開業することができる国家資格の免状を与えていて、数多く輩出している。また、地域の病院に付属した医学校は、西洋医学の教育を受けた人によって教えられ、発行された県の範囲で医療行為をするための資格のある免状が受講者に与えられている。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.80 より引用)

「医師免許」は漢方などを駆使した「東洋医学」ではなく、「西洋医学」の教育を受けたものに発行されると明記されています。イザベラとしては、異を唱える必要の無い内容ですね。

前の記事続きを読む


www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事