2011年7月31日日曜日

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「日本奥地紀行」を読む (5) 横浜 (1878/5/21)

 

それでは引き続き、1878/5/21 の「第一信」を見て行きましょう。

カットされた「雑種の街」から

「日本奥地紀行」(原題:Unbeaten Tracks in Japan)には、前述の通り、「完全版」と「普及版」が存在するのですが、「第一信」においても、「普及版」でカットされた部分が存在します。まずはそのカットされた部分を、「──完全補遺」から見て行きましょう。「雑種(ハイブリッド)の街」という題がつけられています。

 横浜はどちらにしても堂々としているとは言えません──これらの雑種(ハイブリッド)の都市は決してそういうことはないのです──。山の手(ブラフ)はボストンの郊外を現し、段になっている海岸通り(バンド)はバークンヘッド[イングランド北西部のチェシアの海港、リバプールの対岸に位置する]の郊外──半熱帯の幻想を与える──を現し、そしてみすぼらしく、見栄えのしない日本の町は──勤勉な貧しさとでもいわないとしたら──何に譬えてよいか分からないのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.25 より引用)
一瞬、「ハイブリッドとは何だろ?」と思ったのですが、欧米列強に「居留地」を割譲した後の横浜を評した内容でした。この一節を見た限りでは、日本の伝統的な漁村の風景を「みすぼらしい」と評しているかにも思えますが、

そして堂々として醜い英国領事館、一部ハワイ島での献金により建てられたぱっとしない醜いユニオン教会[横浜海岸教会]、目障りさではほとんど劣らない数少ない他の建物、日本の郵便局、税関、サイバンチョーつまり裁判所、これらは新しくそして、事実上外国人建築家により外国風に建てられており、倉庫のように素性の知れないごたごたした卑しい建造物の塊です。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.25 より引用)
このようにも記しています。……うーん、念のため原文にも当たってみたくなる内容ですね(和訳の質に疑義を呈している訳ではないので念のため)。イザベラ・バードは、「日本奥地紀行」を読む限りでは、たとえばブルーノ・タウトばりに日本文化に傾倒していたというわけでも無さそうなのですが、明らかに日本の原風景とは相容れないコテコテの「西洋様式」の建築物には違和感を覚えた、ということかも知れません。あるいは、それらの完成度が「西洋様式」の「模倣」に過ぎない、と感じていたのかも知れません。

イザベラが、何故「普及版」にてこのくだりをカットしたのか、正確な意図は不明ですが、イザベラがその後の旅程で目にした「ほんとうの日本」の姿からはかけ離れていたから、と考えて良さそうな気がします。

人力車

続いて、普及版にもちゃんと残された部分を。

 外には、今では有名になっている人力車が、五十台ほど並んでいた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.27 より引用)
これは、横浜に上陸した直後の出来事です。

発明されたのはたった七年前なのに、今では一都市に二万三千台近くもある。人力車を引く方が、ほとんどいかなる熟練労働よりもずっとお金になるので、何千となく屈強な若者たちが、農村の仕事を棄てて都会に集まり、牛馬となって車を引くのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.27 より引用)
明治の初頭から、すでに農村から都市への人口集中の流れができていた、ということを物語ります(逆に、江戸時代がどうだったのかは正確な知識を持ち合わせていないのですが)。「牛馬となって」というのはなかなかアイロニカルな表現ですね。明治から昭和にかけては「馬車鉄道」という、馬力で動く鉄道があったのですが、驚くべき事に「人車軌道」という、人力で動く鉄道もあったのだとか。

普通に考えても、相当な重労働に思えるのですが、

しかし、車夫稼業に入ってからの平均寿命は、たった五年であるという。車夫の大部分の者は、重い心臓病や肺病にかかって倒れるといわれている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.27 より引用)
なかなか壮絶な話です。当時は結核も「不治の病」だったので、全般的に平均寿命は短かったと考えられますが、それにしても「5 年」というのは……。

この愉快な車夫たちは、身体はやせているが、物腰はやわらかである。彼らは、町の中を突進し、その黄色い顔には汗が流れ、笑い、怒鳴り、間一髪で衝突を避ける。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.29 より引用)
なんだか、現代のタクシー・ドライバーとも通じる部分があるようにも思えますが、心なしかイザベラの描く車夫たちのほうが幸せそうにも感じられます。純朴であるが故の幸福感かも知れませんね。

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