2011年7月28日木曜日

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北海道・東北の旅 2010/夏 (159) 「ファンタジーのふるさと『市浦村』」

 

「三航北国日誌」第 159 回です。本日は、ちゃんと時間をかけて記事を書きました(←

十三湖、五所川原、弘前……雫石

この日の最終目的地は岩手県の雫石なのですが、ここからは「十三湖」「五所川原」「弘前」を経由していくことになります。もう 17 時を過ぎてしまったので、あまり寄り道はできない状況です。
十三湖までは約 9 km、弘前まではまだ 70 km もあります。この調子だと弘前に着くのが 18:30 頃になってしまいます。うーん、雫石に着くのは何時頃になってしまうのだろう……。念のためホテルに連絡しておいたほうがいいかなぁ……。などと考えているとトイレに行きたくなったので(なんでだ)、
ちょいと休憩。あ、ここがかの有名な「市浦村」だった所なのですね。今は五所川原市になってしまった筈ですが……。

「市浦村」が有名になったわけ

「市浦村」の名前がいちぶで有名なのは、その村史「市浦村史 資料編」によって、です。この書き方では「?」という方もいらっしゃるかも知れませんが、それでは「和田家文書」ではどうでしょうか? あるいは「東日流外三郡誌」ではどうでしょうか? そう、この「市浦村」は、その衝撃的な内容から真贋論争が起こり、最終的には全てが「真っ赤なウソ」であることが白日の下に曝された、あの有名な偽書の舞台となったところです。

「市浦村」の歴史

えー、まずは「市浦村」についておさらいを。

市浦村(しうらむら)は、かつて青森県北津軽郡におかれていた村。岩木川が流れ込む十三湖に面していた。
名前の由来は、四つの浦(相内、脇元、十三、太田)が合併して「四浦村」になるはずだったが、四=死という縁起の悪い数字だったため、あえて「四浦」の四を「市」にしたものである。
(Wikipedia 日本語版「市浦村」より引用)
ということで、千葉県の「富里市」のような形で、元となった自治体の数を合算して、ちょいと気の利いた佳字?に直したという地名でした。ちなみに四村が合併して「市浦村」となったのは、昭和 30 年のことです。

偽書「東日流外三郡誌」について

続きまして、そのぶっ飛びぶりが結果的には爆笑を誘った「東日流外三郡誌」について。

東日流外三郡誌は、青森県五所川原市在住の和田喜八郎が、自宅を改築中に「天井裏から落ちてきた」古文書として1970年代に登場した。編者は秋田孝季と和田長三郎吉次(和田喜八郎の祖先と称される人物)とされ、数百冊にのぼるとされるその膨大な文書は、古代の津軽地方には大和朝廷から弾圧された民族の文明が栄えていた、という内容で、有名な遮光器土偶の姿をした「荒覇吐(アラハバキ)」神も登場する。
(Wikipedia 日本語版「東日流外三郡誌」より引用)
まぁ、ここまではまだ良いとして、

和田による古文書の「発見」は、1949年頃から始まっている。ただし初期の古文書は地中から掘り出したとされていた(当時、和田家邸宅は藁ぶき屋根で、まだ天井裏がなかった)。
(Wikipedia 日本語版「東日流外三郡誌」より引用)
「当時、和田家邸宅は藁ぶき屋根で、まだ天井裏がなかった」という一文がありますが、ここ笑うところですので(笑)。

結局、和田は1999年に世を去るまで約50年にわたってほぼ倦むことなく(本人の主張では天井裏にあった箱から)古文書を発見し続けた。
(Wikipedia 日本語版「東日流外三郡誌」より引用)
この「本人の主張では──」というのも同様に「笑うところ」です(笑)。

ツッコミどころ満載

この「東日流外三郡誌」という自称・古文書は、そのぶっ飛んだ内容以上にツッコミどころが満載で、たとえば、

「古文書」でありながら、近代の学術用語である「光年」や「冥王星」「準星」など20世紀に入ってからの天文学用語が登場するなど、文書中にあらわれる言葉遣いの新しさ、発見状況の不自然さ(和田家建物は1941年(昭和16年)建造の家屋であり、古文書が天井裏に隠れているはずはない)、古文書の筆跡が和田喜八郎の物と完全に一致する、編者の履歴に矛盾がある(「秋田孝季」とは何者なのか?)、他人の論文を盗用した内容が含まれている、等の証拠により、偽書ではないかという指摘がなされた。
(Wikipedia 日本語版「東日流外三郡誌」より引用)
そう、自称・江戸時代の古文書に「冥王星」が出てくるんですよね(笑)。クライド・トンボーも天国できっとおかんむりのことと思います。他にも 18 世紀に書かれた筈の自称・古文書に「紅毛人ダウイン説」を長崎で聴講した、なんて記述もあったりします。チャールズ・ダーウィンは 1809 年生まれとされていますから、もちろん時代が合わないわけですが、「『東日流外三郡誌』は真書だ!」と信じ込みたい人は、「この『ダウイン』はチャールズの祖父の事だ!」などと言っていたそうです。

まぁ、このような感じで「古史古伝」をつまみぐいしたファンタジーとしか言えない代物が、誰がどう欺されたか「市浦村」の「村史」として公刊されてしまったのが間違いの始まりだったわけです。この騒動の「まとめ」としては、東奥日報の斉藤光政記者(当時)の手による「偽書『東日流(つがる)外三郡誌』事件」が白眉です。どうやらアマゾンには在庫が無いようなので、入手するなら今のうちかも知れません!

ではここで問題です

そうそう、この和田喜八郎さん、よほど「市浦村」に自著(←)を公刊してもらえたのが嬉しかったのか、著作(←)の中に「市浦」もしくは「四浦」という言葉も入れてしまっていたと記憶してます。これがどういった問題を孕んでいるかは……、もう皆さんお気づきですよね?(笑)

ヒントはちゃんと今日の記事の中に忍ばせておきました。

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