2011年8月7日日曜日

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「日本奥地紀行」を読む (6) 横浜 (1878/5/21)

 

引き続き、1878/5/21 の「第一信」から。

紙幣

イザベラは、日本国内で通用する通貨を用立てるためにフレーザー氏(詳細不明)の事務所を探すことになります。ただ、彼女にとって横浜の街は何故か印象が良くないようで、こんな印象を残しています。

横浜は、いくら知ってもますます分からなくなる町だ。ここは活気のない様子をしている。万事が不揃いで、美しさが欠けている。灰色の空、灰色の海、灰色の家並み、灰色の屋根、すべてが一様に単調である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.30 より引用)
もっとも、横浜以外の街が色彩豊かで生き生きとしていたかと言われれば、また話は別だと思うんですけどね。ただ、開国と同時に多くの外国人が居住することになった街の雰囲気は、確かに異質なものであったかも知れません。

 メキシコ・ドル以外は、いかなる外国紙幣も日本では通用しない。フレーザー氏のところで雇われている中国商人が、私の英国金貨を日本貨幣に取り換えてくれた。日本の札(サツ)《紙幣》で、今ちょうどドルとほとんど同価の一円紙幣一束、五十銭、二十銭、十銭紙幣の包み、たいそうきれいな銅貨を巻封したものを幾つか受け取った。少しでも慣れた者ならば、紙幣を一目見ただけで、ちがった色や大きさから金額の相違が分かるであろうが、今のところ、私には少しも見当がつかなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.30-31 より引用)
これは、今でも外国に行ったときに苦労する問題ですよね。つい先日も、福岡の某ホテルの近くにあるコンビニエンスストアで、やたらと小銭の支払いに苦労している数人連れを見かけました。どうやら中国(あるいは韓国)あたりから来られていた人のようで、どの硬貨に何円の価値があるのか見極めるのに苦労していたようでした。

電子マネーを使えば簡単なのに……と思うんですが、アメリカ人は私達日本人を見て「クレジットカードで決済すれば簡単なのに……」と思っているのかも知れませんね。かの国では想像以上にカード決済に対する心理障壁が低いです。

そういえば、こないだ amazon.de で買い物をしたときに、某社のクレジットカードが使えなかったのには驚き……脱線もほどほどにしないといけませんね。

日本旅行の欠点

第一信の最後は、象徴的な一文で始まります。

 私は、ほんとうの日本の姿を見るために出かけたい。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.31 より引用)
本来、「旅」というものはかくあるべきなんですよね。もっとも「観光旅行」となると話は別ですし、「接待旅行」になれば尚更です。もちろん、そういった旅(敢えてぼかしてみた)の存在も重要ですが、「かざらない旅」というものも、それはなかなか楽しいものです。まぁ、私の場合は、「危険を伴う旅」はちょいと遠慮したい気分ではあるのですが。

さて、イザベラは、日本旅行に際してイギリス政府関係者からも色々とサポートを受けていたようなのですが、例えば、このようなエールも受けています。

英国代理領事のウィルキンソン氏が昨日訪ねてきたが、とても親切だった。彼は、私の日本奥地旅行の計画を聞いて、「それはたいへん大きすぎる望みだが、英国婦人が一人旅をしても絶対に大丈夫だろう」と語った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.31 より引用)
1878 年と言えば、西南戦争が終結した翌年にあたりますが、英国人の目から見て、日本国内の治安は「問題無い」という認識だったことを伺わせます。一方で、現実的な問題点の指摘もなされています。

「日本旅行で大きな障害になるのは、蚤(のみ)の大群と乗る馬の貧弱なことだ」という点では、彼も他のすべての人と同じ意見であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.31 より引用)
現代でもアレルゲンとして忌避される「蚤」ですが、19 世紀の日本でも大きな問題だったのだなぁ、と思わせます。この「予言」は正鵠を射たもので、今後も大きな問題としてイザベラを悩ませることになります。

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