2021年11月17日水曜日

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宗谷本線各駅停車 (6) 「兜沼」

 

名寄行き 4326D は勇知を出発して、次の兜沼に向かって快調に飛ばして(ここまでテンプレ)いた……筈が、突然の急停止! どうやら野生生物との接触の危険があったらしく急制動をかけたとのこと(幸い接触未遂で済んだようです)。
稚内市を抜けて豊富町に入りました。右手に沼が見えてきましたが、これが「兜沼」のようです。なかなか大きな沼なんですね。
間もなく兜沼駅……というタイミングですが、これは……おおっ。こんなところに第四種踏切があったんですね。

兜沼駅(W76)

兜沼駅の構内に入りました。兜沼駅の交換設備は現役のようです。そう言えばこの駅は 1924 年から 1926 年の間、「天塩北線」の終点だったんですよね。
交換設備があったとしても対向列車があるとは限らないのですが……おっ! 対向列車もキハ 54 ですね。稚内行きの 4325D は旭川を 6:02 に出発した 321D の成れの果て?のようで、この車輌は旭川から兜沼まで 5 時間 22 分かけて移動してきた車輌……かもなのかもしれません(途中で増解結していたらすいません)。
ところで、対向列車のキハ 54 510(だと思う)にはこんなステッカーが貼ってあったのですが……。何か特別な車輌なのか、それとも単なる偶然なんでしょうか?
兜沼駅も集落の南側に駅舎があり、ホームは 2 面 2 線の相対式です。ということは進行方向左側に駅舎があるということなんですが……
すいません(お約束)。

実はイチイ「言問の松」

兜沼駅は一線スルー構造では無く、安全側線もありません。ということはどちらかの列車が先に入線して対向列車が来るのを待つということになるのだと思いますが、どうやら稚内行きの 4325D が先に入って 4326D の到着と出発を待つという、損な役回りを引き受けるダイヤだったようです。
ということで、(予定通りに)遅れてきた我らが 4326D が先に出発することになったのですが……ここで駅名標と「名所案内」を確認!
兜沼駅の名所は「兜沼」(そのまんまやね)と「言問の松」とのこと。「言問の松」は「松」ではなく「イチイ」の木なのだそうです。イチイと言えばオンコのことですが、確かにどことなく松っぽい感じもするような……。

謎に広い駐車場

ホームの向こうには「兜沼公園」と「兜沼」が見えますが……
おっ、結構な大きさの駐車場もあるんですね。どうやら「兜沼公園キャンプ場」の「第二駐車場」という位置づけなんでしょうか。

かつての湿原は今

兜沼駅を出発すると、車窓にはふたたび牧場っぽい風景が広がります。
そしてずーっと向こうにはまたしても利尻富士の姿が!
このあたりは、今は広大な野原(放牧地?)が広がっていますが、元はと言えばサロベツ川の湿原でした。今でもこのような湿原っぽい状態の場所もあるんですね。

芦川駅(廃止)

兜沼駅の次の駅は「徳満駅」でしたが(2016 年時点)、2001 年までは兜沼と徳満の間に「芦川駅」がありました。芦川駅も進行方向左側に駅があったと思われるので、通過する列車から駅の痕跡を見つけることは困難でしたが、手元の写真を見てみると、謎の「9」という柱の写真がありました。
芦川駅とは何の関係も無いのかもしれませんが、これは一体なんなんでしょうね。

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2 件のコメント:

<セルダン> さんのコメント...

Sohya North Lineのロゴですが、Wikipediaさんによると宗谷北線運輸営業所所属車両のロゴらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E8%B0%B7%E5%8C%97%E7%B7%9A%E9%81%8B%E8%BC%B8%E5%96%B6%E6%A5%AD%E6%89%80

Bojanさんの乗車されたキハ 54 506は旭川運転所所属なのでロゴが無かったっぽい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E5%B7%9D%E9%81%8B%E8%BB%A2%E6%89%80

ちなみに、宗谷北線運輸営業所所属車両は2017年3月4日付で旭川運転所へ転属し配置車両が消滅したそうですので、わりとレアなショットだったようです。

Bojan さんのコメント...

<セルダン> さん:
うわー、ステッカーの有無は所属の違いによるものでしたか! Wikipedia の「宗谷北線運輸営業所」の記事を見ていますが、キハ 54 506 は「宗谷北線運輸営業所」が発足した際に所属していたものの、いつの間にかいなくなったことになっていますね(汗)。旭川所属に戻ったものの、ピンチヒッター的に宗谷線に入ることもあったということなんでしょうか。

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