2018年11月23日金曜日

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「日本奥地紀行」を読む (87) 新潟(新潟市) (1878/7/9)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在しますが、今日は前回に引き続き、「普及版」では完全にカットされた「第二十一信」を読んでゆきます。



染め付け磁器

行灯屋で「行灯への愛」を熱く語ったイザベラの次なるターゲットは「陶磁器屋」のようです。「染め付け磁器」というサブタイトル(時岡敬子さんによる)の現代は Blue China とのこと。より即物的に「青磁」と考えてもいいかもしれませんね。

行灯屋、鉄瓶屋、針箱(どの日本女性にとっても不可欠な道具)屋、調理具屋、茶屋、酒屋とどれもおもしろいのですが、心を奪われる点では通り一本のすべてを占める陶器店がその上を行きます。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.281 より引用)

導入部に続いて、イザベラが具体的にどのあたりに心惹かれたかが詳細に記されています。

染め付けの磁器のファンはその種類の多さにとまどいそうになるでしょう。ものによってはその美しさ、ことに魚料理を盛る大皿の大胆なデザインのあり方に。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.281 より引用)

あー、なんかわかる気がします。魚料理を乗せる大皿のデザイン(というか「挿絵」?)はかなりフリーダムですからねぇ。漆器の蒔絵のような精緻なものではなく、もっと大胆な、ある意味なんでもありな世界ですからね。イザベラは、どちらかと言えば庶民的な文物の中の美を見出すことに長けているというか、なかなか目の付け所が面白いですよね。

イザベラは、大皿以外では「急須」にも興味を惹かれたようで、「海外でも有名な日本の各産地のものがすべてあります」としています。海外でも有名な産地……どの辺なんでしょうね。日本の急須がウエッジウッド並にメジャーだったのなら面白いのですが。

イザベラは続いて食料品店が立ち並ぶ一角にやってきました。

 ひとつの街区は食料品店ばかりが立ち並び、いつも込んでいますが、イギリスの大きな町の同じような通りで目立つうるさい値引きの交渉はここではひとつもありません。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.281 より引用)

ふーむ。これはちょっと意外な感じがしました。値引き交渉というと「ちょっとおっちゃん、これもうちょっと安うしてーや」「あかんあかん、これ以上安うしたら破産してまう」というパターン・ランゲージがすぐに頭に浮かぶのですが(何故に関西弁)、こういったやり取りが日常的になされている訳では無かった、ということですね?

イザベラは、食料品店で扱われている食材を一通り……かなり事細かく……列挙した上で、「きゅうり」の消費量がとても大きいことを特筆しています。あまり深く考えたことは無かったのですが、日本って胡瓜の消費量が多い国なんでしょうかね?

きゅうりの消費量はすばらしいものです。どんな男も女も子供もきゅうりを食べ──大きなかご、ひと盛りが四銭で買えるのです──、一日に三、四本というのはべつに法外な量ではありません。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.282 より引用)

イザベラは食料品店が立ち並ぶ一角を離れ、再び新潟の街を歩き始めたようです。イザベラが次に「ターゲット」にしたのが、「いんちき薬」売りです。

綿打ち屋、精米屋、機織り屋、眼鏡屋、針屋、鋳掛け屋、薬草屋、両替商、たばこ刻み屋、奇怪な作品が圧倒的に多い画商、赤い漢字を記した青や白の立派な磁器に商品がしまってある薬屋、人目を引く長さ三、四フィートの黒地の看板に金や赤で漢字を記した「いんちき薬」売りがあります。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.282 より引用)

いんちき薬

イザベラが「いんちき薬」としたものは、原文では Quack Medicines となっていました。確かに「いんちき薬」と捉えるのが適切っぽいですね。

 日本政府は臣民の福利に対し温情ある配慮を示しており、「いんちき薬」にはとくに気をつけています。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.282 より引用)

「臣民」とは、これまた随分な表現が出てきたなぁ……と思ったのですが、なるほど原文には The Japenese Government ……its subjects とありました。明治憲法の性質などを合わせて考えると、これまた「臣民」というのは適切な訳のようですね。

薬をつくって売る許可を得るには、その薬の性質と効能をくわしく記した説明書を例のなにもかもを扱う官庁、内務省に提出しなければなりません。

「例のなにもかもを扱う官庁」という表現には苦笑を禁じ得ないのですが、原文を見てみると that all-embracing bureau とありました(笑)。この「例のなにもかもを扱う官庁」が太平洋戦争に敗れた後にあっさり解体されたのは皆さんもご存知のとおりです。

薬屋と行商人は薬販売許可を得るのにごくわずかな料金を支払っています。一般の人々は、正規の医療専門家が処方する薬より、こういった売薬や寺院で売っている病除けのお守りのほうに大きな信頼を置いています。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.282 より引用)

イザベラは「いんちき薬」に対して何度も批判的な目を向けていました。これらの「いんちき薬」の中には医学的なエビデンスを持たないものが多くあったと思われますが、一方で漢方薬などに代表される「東洋医学」の伝統に裏付けられたものもあったのではないかと考えています。東洋医学の効能が科学的に認知されるまではイザベラの時代からもう少し後まで待つ必要があった、ということでしょうか。

批評

イザベラは、新潟の町中で見かけた様々な「製品」について、以下のような賛辞を寄せています。

 さまざまな製品の仕上げのよさは注目すべきものです。また見るからにわずかな道具しかない薄暗い部屋からつくり出されるものの美しさも。鉄製、ブロンズ製の最上製品には、床の火のそばに陣取った鍛冶屋がつくるものがあります。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.283 より引用)

一方で、"Criticisms" と題した通り、「一部の旅行者のように見境なく誉めちぎることはできない」として、批判的な見解も記しています。全体的に安っぽく趣味の良くないものが多い……としたほか、心を奪われたものの一つだった筈の青磁器についても、次のように記しています。

磁器にはどうにも醜いものが大量にあり、奇怪さが誇張されている場合が多いのです。人間の姿を描いたものはほとんど全部といっていいほど絵の体をなしていませんし、自然を描いたものはときとして平凡すぎます。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.283 より引用)

日本における「絵画」は写実的であるよりも抽象的であることに重きを置いている……と考えてみたのですが、これは「日本」と「その他外国」ではなく「東洋」と「西洋」の比較と捉えたほうがより正確だったでしょうか。

「奇怪さが誇張されている」というのも「抽象化」のひとつの形ではないかな……と思ったのですが、イザベラの目には「醜い」と映ったようです(もちろんイザベラの「理解のなさ」を批判するつもりは毛頭ありません)。

店のことばかりで、あなたが退屈していなければいいのですが。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.283 より引用)

「イザベラ・バードの日本奥地紀行」(原題:Unbeaten Tracks in Japan)は、イザベラから妹のヘンリエッタに宛てた公開書簡……という設定でした。従って、ここにある「あなた」はヘンリエッタのことです。……それはさておき、確かに店の話題が随分と長かったですよね(結果として「普及版」では全削除の憂き目に遭うわけですが)。

イザベラは、新潟の商店のレベルは日本国内における商店の一般的なレベルと同等であろうと仮定した上で、以下のような評価を下しています。

わたしは新潟の商店は典型的なものではなかろうかと思っていますが、そのとおりであるとするなら、ここには高価な趣味の商品はないこと、あるいはそのような趣味を満足させる手だてはないことが表れています。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.283 より引用)

改めて読み返してみると「そりゃそうだよね」と言いたくなる結論が記されていました。現代の日本でも、ホームセンターには「高価な趣味の商品」はありませんからね。一昔前までは、「気の利いた買い物」は専門店かデパートに行くのが常識だったですし、イザベラは何を当たり前のことを……と思ってしまうのは読解力の欠如、なんでしょうか(汗)

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