2018年11月24日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (582) 「渚滑・宇津々・和訓辺」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

渚滑(しょこつ)

so-kot
滝・窪み


紋別の市街地の北西部に「渚滑町」と呼ばれる一帯があります。かつての「渚滑村」の村域で、1954 年に当時の紋別町・上渚滑村と合併して「紋別市」が成立しています。国鉄名寄本線に「渚滑駅」があり、北見滝ノ上に向かう「渚滑線」が分岐していました。ということで、今回は「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  渚 滑(しょこつ)
所在地 紋別市
開 駅 大正 10 年 3 月 25 日
起 源 アイヌ語の「ショ・コッ」(滝・くぼみ)、すなわち滝つぼから出たもので、渚滑線に沿って流れる川には至るところに滝があるからである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.196 より引用)

ふむふむ。so-kot で「滝・窪み」と読んだようですね。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シヨコツ」とだけ記されていて、petnay はついていません。知里さんの「──小辞典」によると kot を「谷間」や「沢」と解釈する流儀もあるようですが、kotpet あるいは nay の代わりだったのか、それとも単に略していたのか、どっちだったのでしょうね。

永田地名解を見た感じでは、so-kot はどこか特定の滝壺に由来すると思しき書きっぷりでした。

Shō kot  ショー コッ  瀧凹(タキクボ)瀧ノ下凹ミタルヲ以テ名ク今渚滑村ト稱ス
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.448 より引用)

また、戊午日誌「西部志与古都誌」にも次のように記されていました。

シヨウとは滝の事にて、コツとは渓間の中低き処を申し、此水源一大渓間より一すじの瀑布にて水源をなすが故に此名有といへり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.287-288 より引用)

ただ、実際には渚滑川の上流域には複数の「滝状の渓流」があるとのことで、どこか特定の滝壺を指していた、というわけでも無さそうでした。でもこの書きっぷりだとどこか特定の滝を想定して書いていたような感じを受けるんですけどね……。

宇津々(うつつ)

utka
浅瀬


国道 273 号から分岐する道道 766 号「和訓辺渚滑停車場線」は「宇津々橋」で渚滑川を越えていますが、宇津々橋を渡った先が「渚滑町宇津々」です。

この「宇津々橋」、地理院地図を見た限りではかなり幅の狭い橋として描かれていますね。実際に Google Map で見た感じでも、乗用車同士のすれ違いもできれば避けたい幅の橋に見えます。

宇津々橋の 2~300 m ほど上流で、西支流の「ウツツ川」が渚滑川に注いでいます。この「ウツツ川」は、古い地形図では「ウツ」あるいは「ウッ」とだけ記されています。これも面白いことに petnay が下略された形ですね。

永田地名解でも、petnay のつかない形で記録されていました。

Ut  ウッ  脇川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.453 より引用)

ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ウツナイ」と記されていて、また戊午日誌「西部志与古都誌」には次のように記されていました。

また此山根を行こと凡壱二丁にして
     ウツナイ
右の方小川有。本名はウツカと云よし。其義往昔は此前に大なる瀬有て、舟を引揚し由なり。依て此名有とかや。ウツカは瀬の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.296 より引用)

おっと。これは想定外の解が出てきました。いや、てっきり ut-nay で「あばら・川」だと思っていたのですが、utka で「浅瀬」ですか。

さて、永田地名解と戊午日誌のどっちが正しいのか……というガチバトルの様相を呈してきたかと思いきや、「──小辞典」に画期的な記載を見つけてしまいました。

utka うッカ 川の波だつ浅瀬;せせらぎ。──本来はわき腹の意で,そのように波だつ浅瀬をさす。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.139 より引用)

おおお、これだと両者の言い分がともに適切だった、ということになりますね(!)。

和訓辺(わくんべ)

o-ahun-pe?
そこで・入り込む・もの


紋別市上渚滑町、国鉄渚滑線の「上渚滑駅」の川向の地名です(同名の川もあります)。戊午日誌「西部志与古都誌」には次のように記されていました。

過また五六丁にて
     ヲワフンベナイ
右の方小川有。川口七八間にて急流。其名義は誰が来りても此川口を歩行候哉、足のうらに音がする故に此名有と。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.299 より引用)

うー、これはまた難しそうなことが書いてありますね。「足の裏に音がする」とのことですが、えーと、hum が「音」でしたよね。o-wa-hum-un-pe-nay で「そこで・渡る・音・ある・もの・川」あたりになるのでしょうか。

一方で、永田地名解には少し違った解が記されていました。

O ahunbe  オ アフンベ  岸ノ入リ込ミタル處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.454 より引用)

久々に「?????」となってしまいましたが、えーと、これは o-ahun-pe で「そこで・入り込む・もの」と考えた、ということでしょうか。それとも o-wa-ahun-pe で「そこで・岸・入り込む・もの」と考えたのでしょうか。

ahun と言えば

アイヌには「あの世への入り口」の伝承があり、その多くは「アフンルパㇽ」と呼ばれていました。知里さんの「──小辞典」を見ておきましょうか。

ahun-ru-par, -o アふンルパㇽ【H 南】もと‘入る道の口’の義。あの世への入口。多く海岸または河岸の洞穴であるが,波打際近くの海中にあって干潮の際に現われる岩穴であることもあり,また地上に深く掘った人工の竪穴であることもある。この種の穴は各地にあり,そこを通ってあの世から死者の幽霊が出て来たり,この世の人があの世へ行って来たりする伝説がついていて, そこへ近づくのはタブーになっている。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.4 より引用)

鉄道がお好きな方なら、留萠本線の信砂(のぶしゃ)駅の手前に「阿分トンネル」というトンネルがあったことをご存知かもしれません。国道からトンネルを眺めて「こんなところに『あの世への入り口』があったとは……」と思ったものでした。そんなこんなで、ahun と言えば「あの世への入り口」という感覚が身についてしまっているのですが、本来は単に「入っている」あるいは「入り込む」という意味の語彙だったんですよね。

閑話休題(というわけで)

紋別市は和訓辺の話題に戻りましょう。またしても戊午日誌と永田地名解のガチバトルっぽい様相を呈していますが、どちらの解もありそうで、また少し引っかかる部分もありそうです。

o-wa-hum-un-pe-nay で「そこで・渡る・音・ある・もの・川」とした場合、なぜ「音が出る」ことが特記する対象になったのか……というところが良くわかりません。他の川と比べて「音が出る」という特色があるが故のネーミングだと思うのですが、どうして良く「音が出る」のかがわからないのですね(あと文法的に怪しくないか、ちょっと心配)。

一方、o-wa-ahun-pe で「そこで・岸・入り込む・もの」とした場合、「岸が入り込む」という表現がやや珍妙な感じがします。ただ、素直に o-ahun-pe で「そこで・入り込む・もの」なのであれば納得できそうな気もします。「なぜ ahun なのか」という疑問もありますが、地形図で見てみると割と奥の方まで「入り込んでいる」川のようにも見えますので、そういうことなのかな、と。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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