2021年3月21日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (816) 「オニシ沼」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オニシ沼(──とう)

o-ni-us-i
河口・木・多くある・もの(川または沼?)

(典拠あり、類型あり)

雄武町東部、興部町との境界からもそれほど遠くないあたりにある海跡湖の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲニシ沼」に相当する沼が描かれていて、沼が海に流出するところに「ヲニシフコマナイ」という名前の川が描かれています。そしてよく見ると、南東隣に「ルウエンナイ」を挟んで「ヲニシ」という地名?も描かれています。

「再航蝦夷日誌」では

「再航蝦夷日誌」には次のように記されていました。

扨浜路何の風景もなき処をしばし行て
     ヲニシウコマナイ
小川有。越而また砂浜をしばし行て
     ルウヱサンナイ
小川有。幷て
     ヲニシ
小川有。幷て
     フンベヲマナイ
小川有。越而
     シニノシキヲマナイ
小川有。越而
     フトヤムワツカナイ
小川有。越而しばし砂浜を行て
     ヲコチヘ
川有。巾七間。小休所有。夷人(小屋脱)六軒有也。土地肥沃にし而ひろし。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.136 より引用)

最後の「ヲコチヘ」が、どうやら現在の「興部」のようです。また「フンベヲマナイ」は現在の興部町と雄武町の境界を流れる川に相当するようです。ここでも「ヲニシウコマナイ」と「ヲニシ」の両方が記録されています。

「再航蝦夷日誌」における「ヲニシウコマナイ」の前の記録は「ホンナイ」なのですが、この川は「サワキベツ」および「サワキ」と「ヲニシウコマナイ」の間に存在するとして描かれています。「東西蝦夷山川地理取調図」では「サワキ」の北西に「ノテト」(岬)が描かれているので、「東西蝦夷──」の「サワキ」は現在の「新沢木」のことと考えて良さそうに思えます。

「竹四郎廻浦日記」では

「竹四郎廻浦日記」にもこのあたりの川名について記録がありました。

     テ イ 子 小川
     ヲヽサンナイ 此上に沼有。
     ヲニシコマナイ
     アイシトマナイ 小川
     フンベヲマナイ
     シンノシケマナイ 小川
     フトヤモコツナイ 小川
     ヲコツヘ
川有、巾八七間舟渡。遅流にして深し。越て仮の小休所有。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.340 より引用)

「竹四郎廻浦日記」では「テイ子」の前は「サワキ」となっていました。「フンベヲマナイ」から先はほぼ「再航蝦夷日誌」と同一内容ですが、「サワキ」と「フンベヲマナイ」の間は同一人物が記録したとは思えないほど内容にブレがあるように見えます。

「オニシ沼」に限って考えた場合でも、これまでの記録では「ヲニシ」と「ヲニシウコマナイ」が併存していたのに対して、「竹四郎廻浦日記」では「ヲニシコマナイ」に一本化?されたようにも見えます。

また、沢木と興部の間にある沼と言えば「オニシ沼」くらいなのですが、この記述を見る限りでは「ヲヽサンナイ」が「オニシ沼」の流出河川であるように見えてしまいます。別の言い方をすれば「ヲニシコマナイ」は「オニシ沼」の流出河川ではない、ということになってしまいますね。

「永田地名解」では

永田地名解には次のように記されていました。

O nishppa oma nai  オ ニㇱュㇷ゚パ オマ ナイ  樹根多クアル處 昔シ樹根多クアリシ故ニ名ク今ハ無シ、寄木川ト譯シタルハ非ナリ山ニ在ル寄木ヲ「オラクニ」ト云ヒ海濵ニ在ル寄木ヲ「ヤㇰクニー」ト云フハ此邊ノ土言ナリ
Rū san nai      ルー サン ナイ       下リ路ニアル川
Onishi        オニシ          ?
Humbe oma nai     フㇺベ オマ ナイ       鯨川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.447 より引用)

明治時代の地形図を見てみると、厄介なことに混迷の度合いは更に深まります。この地形図に描かれている川名を「竹四郎廻浦日記」のように並べてみると、次のようになります。

     オータン子
     アイシトマナイ
     オニシュㇷ゚オマナイ
     沢木駅
     ルーサンナイ
     オニシ
     ポンキヒトイ
     キヒレトイ
     フンベオマナイ

かつてこのあたりを通っていた国鉄興浜南線にも「沢木駅」がありましたが、この「沢木駅」は鉄道の駅ではなく駅逓のことと思われます(位置も鉄道駅とは微妙に異なるので注意が必要です)。そう言えば村の名前は「村木澤」とあるのに、駅逓は「駅木沢」なんですね(「駅」と「沢」は新字に見える)。

一見、これまでの記録と相違ないようにも見えますが、よく見ると「アイシトマナイ」の位置が異なることに気が付きます。「ポンキヒトイ」と「キヒレトイ」が新たに追加されていますが、位置的には「オニシ沼」を形成する砂州の地名のようです。

ここまでのまとめ

長々と記してしまいましたが、ここまででわかったことをまとめると次のようになるでしょうか。

「オニシュプオマナイ」と「オニシ」は別々の地名(川名)である。
「オニシュプオマナイ」と「オニシ」では、「オニシ」のほうが南東(興部側)にある。

この 2 点は「竹四郎廻浦日記」の内容を全否定するものですが、永田地名解や明治時代の地形図などを参考にして考えると、「竹四郎廻浦日記」よりも「再航蝦夷日誌」や「東西蝦夷山川地理取調図」の内容を重視したほうが諸々の整合性が取れそうなんですよね。

「北海道の地名」では

ということで、「オニシ沼」や「御西川」、小字としての「御西」の由来ですが、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

御西 おにし
 雄武町南端の地名,川名。この語義も全く忘れられた。再航蝦夷日誌の行程はサワキ,ホンナイ,ヲニシウコマナイ,ルウエサンナイ,ヲニシ,フンベヲマナイとなっていて,この 3 番目と 5 番目の地名がまぎれるが,地名順から見ると後の方のヲニシが今の御西川の処らしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.177-178 より引用)

山田さんも同じ結論に達していたようで安心しました。

3 番目の地名は永田地名解を採れば(吟味の上)オ・ニシュッパ・オマ・ナイ(o-nishuppa-oma-nai 川尻に・木の切り株・ある・川)となる。5 番目のオニシをその後略とも思いにくいので別に考えて見たい。音だけならオ・ニッ(川尻・雲)となるが,一番地名らしい形とすれば オ・二・ウシ「o-ni-ush-i 川尻に・木が多くある・もの(川)」であろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.178 より引用)※ 原文ママ

「雲」を意味する語彙は nis を指していると思われるので、「オ・ニッ」は「オ・ニㇱ」の誤植だと考えられます。o-ni-us-i で「河口・木・多くある・もの(川あるいは沼?)」ではないかという説は更科さんの「アイヌ語地名解」にも記されていました。

また、明治時代の「北海道地形図」には「オニシペッ」という名前の川が描かれていました。o-ni-us-pet で「河口・木・多くある・川」だった可能性もありそうです。

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