2021年3月7日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (813) 「ポンケナイ川・ポンガ川・徳星」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ポンケナイ川

pon-ket-nay???
小さな・獣皮の乾かし枠・川

(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)

「愛別ダム」のダム湖である「狩布湖」から 3~400 m ほど東で狩布川に合流する北支流の名前です。このあたりは「愛別町字旭山」ですが、古い地図には「石狩々布」と描かれていました。狩布川がかつて「石狩々布川」と呼ばれていたことは、昨日の記事でも記した通りです。

さてこの「ポンケナイ川」ですが……。丁巳日誌「再篙石狩日誌」の聞き取りには記録が無く、「東西蝦夷山川地理取調図」にも描かれていない上に、永田地名解にも記載がありません。また明治時代の地形図にも名前が描かれていないという……かなり手詰まり感がある状況です。

「ポンケナイ」がアイヌ語に由来すると仮定した場合ですが、「ポン──」があるということは「ケナイ」あるいは「ポロケナイ」のどちらかがあっても良さそうなものです。ただ、残念ながらそういったヒントになりそうな川も見当たりません。

では「ポンケ」自体が独立した語彙である可能性は無いだろうか……という視点からも考えてみました。popke あるいは pokke で「煮えたぎる」と解釈できるので、温泉でも湧いているのであれば pokke-nay で「煮えたぎる・川」と考えられなくもありません。ただ、このあたりに果たして温泉が湧いていたかと言われると、少々疑問も出てきます。

温泉の可能性を一旦却下するならば、あと考えられそうなのは pon-ket-nay で「小さな・獣皮の乾かし枠・皮」あたりでしょうか。ket については、知里さんの「──小辞典」には次のように記されていました。

ket, -i けッ 【ビホロ】獣皮を張って乾す枠。或はそれを組みたてる細い棒。皮張枠。皮張串。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.46 より引用)

ポンガ川

pon-ka(-un-nay)???
小さな・上・に入る・川
pon-ka(-un-nay)???
小さな・罠・ある・川

(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)

ポンケナイ川の中流部で北から合流する支流の名前です。こちらも「ポンケナイ川」と同様に情報が殆ど無い状態ですが、唯一違いがあるとすれば大正時代の陸軍図に「ポンガ」という地名が記録されているあたりでしょうか。

「ガ」が ka であれば「上」と解釈できますが、あるいは「糸」「罠」と考えることもできます。pon-ka-un-nay であれば「小さな・上・に入る・川」と見ることもできますし、また「小さな・罠・ある・川」とも読めるかもしれません。

地形図で地形を見てみると、「上に入る川」という考えもしっくり来ますが、「ポンケナイ」が pon-ket-nay であれば「罠ある川」という考え方も「あっても良いかも」と思えてしまいます。そもそも本当にアイヌ語に由来するのか、というところから始めないといけませんが……。

徳星(とくせい)

mata-ru-kus-{ay-pet}
冬・道・通行する・{愛別川}

(典拠あり、類型あり)

愛別から下川に向かう道道 101 号「下川愛別線」……あ、「下川から愛別に向かう」が正解かもしれませんが……は、愛別ダムのダム湖である「狩布湖」の南岸を抜けてから、巨大な「5」の字状のカーブで北に向きを変えて愛別町字徳星に向かいます。

徳星のあたりは愛別川の東支流である「マタルクシ愛別川」が流れていて、以前は下川に向かう道も川沿いを通っていたようなのですが、愛別ダムの建設と前後してか、狩布湖経由の道がメインルートになったようですね。

冬の通行路

「マタルクシ愛別川」は mata-ru-kus-{ay-pet} で「冬・道・通行する・{愛別川}」と読めます。「東西蝦夷山川地理取調図」には「サクルヘシベ」と「マタルヘシベ」という川が描かれていて、「夏・道・それに沿って下る・もの」と読める「サクルヘシベ」が現在の「愛別川」のようです。

峠道に「夏」と「冬」があるのを不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、冬場は夏とは違って積雪があり、また河川の凍結もあります。これらの違いによって、「冬だけ使える」ルートが出来上がる、ということのようです(逆も然りなのでしょうが)。

不思議なことに、明治時代の地形図には現在の「愛別川」のほうが「マタルークシアイペツ」であると描かれています。これは単純な間違いだった可能性もありそうで、大正時代の陸軍図には、現在「徳星」と呼ばれるあたりが「股留久志愛別」(マタルクシアイベツ)として描かれています。なかなか傑作な当て字ですね。

なぜ「徳星」?

さて、なぜ「マタルクシ愛別川」ではなく「徳星」を見出しにしたのか……という話です。愛別町字徳星のあたりは、かつて「股留久志愛別」という地名だったことが既に判明しています。では何故「徳星」に改めたのでしょうか?

既存の地名を改める、あるいはイチから命名するとなった場合、例えば倶知安町のように「瑞穂」「末広」「富士見」「大和」「扶桑」と言ったような「縁起の良さそうな地名」を創出する場合が多いかと思います。愛別町の場合でも、実際に「旭山」という地名が新たに誕生しています。

これらの「新地名」と比べて「徳星」というのはちょっと不思議な感じがするのですね。実は tokse-i で「瘤のような小山」という語彙があるので、それに「徳星」という字を充てたのではないか……と思ったのです。

ただ、「徳星」の旧地名は「股留久志愛別」であり、また「瘤のような小山」があるかと言われると「ぐぬぬ……」という状況です。「そう言えばそうかも」と言えそうな山が無いわけでも無いような気もしますが……(どっちだ)。

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