2021年3月14日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (815) 「藻瀬狩山・トナシ川・ワッカウエンナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

藻瀬狩山(もせかり──)

mose-kar-i
イラクサ・刈る・ところ(川)

(典拠あり、類型あり)

士別市と滝上町を結ぶ道道 61 号「士別滝上線」は、士別市と滝上町の境界を「上紋峠」で越えています(標高は約 800 m とのこと)。「藻瀬狩山」は上紋峠のすぐ北に位置する、標高 925.7 m の山の名前です。

「藻瀬狩山」は「もせがり──」とする書物もありますが(毎度おなじみの「北海道地名誌」です)、「もせかり──」とするものもあり、また滝上町では「もせかる──」と読むという話もあり、読み方に揺れがある(あった?)ようです。

面白いことに、藻瀬狩山の北側に標高 864 m の山があり、その無名峰?の北側を「藻瀬狩川」が流れています。藻瀬狩川は「サックル川」と合流した後、天塩川のダム湖である「岩尾内湖」に注いでいます。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 藻瀬狩山 (もせがり やま) 925.6 メートル
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.353 より引用)

前述の通り、「北海道地名誌」は「もせがり──」派のようです。

アイヌ語「モセカリ」は,いらくさを刈る意で,沢についた名が山に移ったと思われる。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.353 より引用)

そうですね。類型として「茂瀬苅別」と書く地名が目梨郡羅臼町にもありました。また mose-us-i という地名もほうぼうにあって、「妹背牛」(雨竜郡妹背牛町)や「茂世丑」(岩見沢市栗沢町)などが有名でしょうか。

「藻瀬狩」の意味は mose-kar-i で「イラクサ・刈る・ところ(川)」と考えられます。川の名前が山の名前に転用されたのも更科さんの見立て通りだと思われるのですが、南隣のより高い山の名前になってしまったのは、一種の出世譚のようなものなんでしょうか……。

トナシ川

tunas-pet???
速い・川

(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)

どちらも天塩川の北支流である「ケナシ川」と「ホウダイ川」の間に存在する川の名前です。地理院地図には川として描かれておらず、当然ながら川名の記入もありません。

「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい川が描かれておらず、また丁巳日誌「天之穂日誌」にも記載がありません。永田地名解にも記録がなく、明治時代の地形図にもそれらしい川が描かれていません。要は八方塞がりということですね。

ということで類型から類推するしか無いのですが、幸いなことに空知郡南富良野町に「十梨別」という地名があり、また「トナシベツ川」という川も流れていました。この川は tunas-pet で「速い・川」ではないかと考えられています。

改めて地形図を見てみると、この「トナシ川」は「ケナシ川」や「ホウダイ川」と比べても勾配が急であるように見えます。故に流れも速くなり、そのことから「トナシ川」と呼ばれたのではないか……と考えてみました。

まぁ、何の記録も無いので、まずはアイヌ語に由来するかどうかから精査が必要となる旨を追記しておきます。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ワッカウエンナイ川

wakka-wen-nay?
水・悪い・川

(? = 典拠あるが疑わしい、類型あり)

士別市のアイヌ語に由来すると思われる川はおおよそピックアップできたと思っているのですが(見落としがあるかも?)、あえて一つだけ飛ばすことも無いだろう……ということで。

士別の市街地の東側に「九十九山」(つくも──)という山があり、その北東に道道 537 号「旭士別線」の「九十九橋」という橋が天塩川に架かっています。「ワッカウエンナイ川」は九十九山の東、九十九橋の南で天塩川に合流する東支流の名前です。

なぜか「東西蝦夷山川地理取調図」や明治時代の地形図には描かれていませんが、丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

廿一日 朝早くより支度致し、糀(こうじ)二升と白米四升を出し、ヱトラムとカアヌンカルに渡し、是にて酒を作候様申附て、又是より右三人の者を召連上るに弐丁計にて
     ヤムワツカヒラ
左りのヒラより涌出す也。実に極々の清冷なる也。少し上
     ワツカウエンベツ
左りの方小川、また此前辺赤磐にて急流なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.114 より引用)

松浦武四郎が投宿したのは「サツテクベツ」のあたりで、ちょうど現在の「ワッカウエンナイ川」が天塩川に合流するあたりだったと考えられます。ただ、そうすると「弐丁計」(約 218 m ほど?)で「左りのヒラ(崖)」から湧き水があるというのはちょっと解せない感じもします(水源に向かって左側、つまり東側には崖と呼べそうな地形が見当たらないので)。

現在の「ワッカウエンナイ」という川名は、「天之穂日誌」に記録された「ワツカウエンベツ」と同一のものであるかどうかは怪しいですが、「天之穂日誌」の記録を参考に命名された可能性は十分にありそうな気がします。wakka-wen-nay で「水・悪い・川」と考えられますが、水が飲用に適さない川、ということなんでしょうね(単に名前を流用しているだけかもしれないので、実際に水が悪いかどうかは怪しいです)。

近くにあったと思しき「ヤムワツカ」(yam-wakka は「冷たい・水」の意)との比較で、「ワツカウエンベツ」は「飲用に適さない」というレッテルが張られてしまった……といったところかと思われます。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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