2021年3月28日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (818) 「雄武・当沸川・イナシベツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

雄武(おうむ)

o-mu-i
河口・塞がる・ところ

(典拠あり、類型あり)

オホーツク総合振興局のエリアでは最も北に位置する自治体の名前です。国鉄興浜南線の終点だったところですので、まずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  雄 武(おむ)
所在地 (北見国) 紋別郡雄武町
開 駅 昭和 10 年 9 月 15 日
休 止 昭和 19 年 11 月 1 日
再 開 昭和 20 年 12 月 5 日
起 源 アイヌ語の「オ・ム・イ」(川口がふさがる所)から出たもので、現在川尻と呼ばれているところの雄武川の名から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.200 より引用)

町名は「雄武」で「おうむ」ですが、駅名は「おむ」と読んでいたのでした。引用文中にもあるように「雄武」は川名由来ですが、「雄武川」は雄武駅の近くではなく、隣の「雄武共栄仮乗降場」の近くを流れていました。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲムト」という名前の河川?が描かれていました。現在の地形図を見ても、河口のあたりは砂州で捻じ曲げられていて、ちょっとした潟湖のようになっているので、それで to(沼または湖)と呼んだ可能性もあるかもしれません。

「再航蝦夷日誌」には次のように記されていました。

     ヲヽム
ヲムとつむる也。川有。巾十間。船渡し。夷人小屋壱軒。馬は歩行渡り也。此川上にまた沼有るよし也。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.135 より引用)

ふむふむ。「沼有るよし」とあるので、やはりちょっとした潟湖があったと考えられそうですね。

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     ヲ ム
小休所一軒(梁一間半、桁五間)有。然し毎には昼飯所なる由。此度は二日路通せし故、爰にて茶斗を出す。前に川有。巾十余里、遅流にして深し。沢目広く、土地肥沃にして茅多く生ず。船渡し。越て夷家一軒(アカイ家内六人)、此者渡し守をする也。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.336 より引用)

どうやら江戸時代から「ヲヽム」「ヲウム」「ヲム」などのパターンがあったようで、現在「おうむ」に落ち着いているのも原点回帰と言えるのかもしれません。

永田地名解には次のように記されていました。

Omu-i  オムイ  川尻塞ル處 暴風雨ノ時川尻塞ル川ナリ○雄武村
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.446 より引用)

o-mu-i で「河口・塞がる・ところ」と考えたようです。「北海道駅名の起源」もこの解を踏襲したようですね。川は -pet-nay をつけるのが慣例ですが、石狩川や沙流川のような(その土地における)大河は -pet-nay をつけずに呼ぶこともまた慣例でした。

果たして「雄武川」が -pet-nay のつかない「特別待遇」だったかどうかは不明ですが、河口が良く塞がるという圧倒的な特徴が、やがて川全体を指すようになったと考えても不思議はないような気もします。

当沸川(とうふつ──)

to-ut??
沼・脇腹

(?? = 典拠あるが疑わしい、類型未確認)

雄武川の南東を流れる川の名前です。雄武川は沿岸流の運んだ砂で良く河口が塞がる川でしたが、当沸川は沿岸流が形成した砂州で河口が完全に塞がれてしまい、本来は直接オホーツク海に出る筈が、已む無く北西に向きを変えて雄武川に合流するようになったと考えられます。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「トウウツ」という名前の川が描かれています。明治時代の地形図には「トユ川」という名前で描かれていますが、より縮尺の大きな地図では「トーウツ」となっていました。「トユ川」は誤記だった可能性もありそうですね。

永田地名解には次のように記されていました。

Tō ut  トー ウッ  沼脇 鮭上ル沼ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.446 より引用)

あれ、またしても -pet-nay の無い形ですね。to-ut は確かに「沼・脇腹」で、沼に横から突っ込む川の名前としては(-pet-nay がつかないことを除けば)妥当なものです。

山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」には、次のように記されていました。

 ut は「あばら骨」。地名ではウッ・ナイ(あばら・川)と同じに使う。松浦図には沼形を描く。トー「沼」に、あばら骨のような形でついていた小川の称か。他地でこの名なら to-put(沼の・口)である。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.95 より引用)

あー。そうなんですよね。道庁アイヌ政策推進室が公開している「アイヌ語地名リスト」にも「ただし、to-ut は地名としては一般的でないと思われ、to-put、to-putu などの可能性もあると思われる」にもある通り、to-ut よりは to-putto-putu(どちらも「沼・口」)のほうが地名としては自然なんですよね。-pet-nay がついていたなら、ある程度は納得できるのですが……。

イナシベツ川

inaw-ni-us-pet
木幣・木・多くある・川

(典拠あり、類型あり)
(? = 典拠あるが疑わしい、類型あり)

雄武川を溯ると、「砂金山」の西で「イソサム川」が南から合流しています。イソサム川と雄武川の合流点から更に雄武川を溯ると、少し先で「イナシベツ川」が南から合流しています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「エナヲヌウシヘ」(または「エナヲナウシベ」)という川が描かれていました。

表記に揺れがあるのは、ちょうど図の境界あたりに位置していたため、なぜかどちらの図にも描かれてしまい、しかもその際に表記が揺れた……ということだと思われます。

「竹四郎廻浦日記」には「エナウシベ」という名前の川が記録されていました。また永田地名解には次のように記されていました。

Inauni ush pet  イナウニ ウㇱュ ペッ  木幣樹ノ川 「イナウニ」又「ウト゚カンニ」ト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.446 より引用)

ふむふむ。「エナヲヌウシヘ」の「ヌ」(あるいは「ナ」)が謎だったんですが、なるほど inaw-ni でしたか。inaw-ni-us-pet で「木幣・木・多くある・川」と読めそうですね。イナウの素材となる樹木が多く生えている川、ということなんでしょうね。

永田地名解が補足として記した「ウト゚カンニ」は、萱野さんの辞書に次のように記されていました。

ウト゚カンニ【utukan-ni】
 ミズキ.神に捧げるためのイナウを作る材料.イナウの材料はミズキとヤナギの 2 種類に限定していた.
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.112 より引用)

あー、ちゃんと調べればちゃんと書いてあるものなんですね……。念のため知里さんの「植物編」もチェックしてみたところ……

 注 3.──北見國紋別郡にイナウニ・ウㇱ・ペッ 「木幣樹・多くある・川」なる地名あり,永田翁の註に “「イナウニ」又「ウト゚カンニ」ト云フ”とある(C, p. 446)。彼地でわ「イナウニ」とゆうだけでミズキを意味したらしい。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.58 より引用)

あああ。ちゃんと調べればちゃんと書いてあるm(ry

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