2021年3月20日土曜日

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「日本奥地紀行」を読む (114) 金山(金山町) (1878/7/18)

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十九信」(初版では「第二十四信」)を見ていきます。



農村統治

イザベラは「ノソキ医師」との会食の後、宿の主人と戸長(村長)の訪問を受けました。何故か「タバコ」についての会話で盛り上がることになるのですが、タバコに関する話題は「普及版」ではバッサリとカットされています。

そして、タバコの話題に続いて「農村統治」と題されたトピック(原題は "Rural Administration")が続きます。要するに「戸長とは何か」という話題なのですが、これもやはり「旅行記」には相応しくないと判断したのか、全編まるごと見事にカットされています。このようにトピックごとカットされているのを見ると、もはやイザベラは「旅行者」ではなく「スパイ」に思えてくるんですよね……(汗)。

 私は知的な人々と話す機会のあったすべての農業地域において、村落統治と、既存の秩序のあり方についての農民のものの見方について知識を得ようとしました。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.83 より引用)

こういったイザベラの行動が、果たして単なる好奇心からによるものなのか……というのは疑問の余地もありそうですが……。続きを見てみましょう。

しかし、その試みをしたことがない者には、全体をまとめる情報を得ることがいかに難しいかを分かることは出来ず、何か価値のある意見の表明を得ることは誰も出来なかったのだが、それは本当のことを言うためには、もともと無能であるか、あるいは周りに密偵がいるのではないかという付きまとう恐怖からであった。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.83 より引用)

高名なロシア語同時通訳だった米原万里さんの著作に「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」という題のものがあるのですが、この妙な題名は「原文を忠実に訳すとどうしても日本語としての理解しやすさが損なわれる」という問題から捻り出されたものだと考えられます。

「原文を元にした創作」ではなく「和訳」である以上、訳文に「貞淑な」面が見え隠れするのは避けられないことですが、難しい問題ですね。上記の引用部はかなり「貞淑な美女」だと思えるのですが、貞淑であるが故にしっかりと向き合わないと文意を正しく理解できないことがあるかもしれません。

更にこの問題を難しくしているのは、イザベラの原文も別の意味で「貞淑である」という点でしょうか。めちゃくちゃ「不実な美女っぽく」言い換えるならば、イザベラは日本の「ムラ社会」の実体について論じている……ようにも思えるのです(但し「ムラ社会」の全体ではなく半分くらいかな、という気もしますが)。

The Kôchô

イザベラは「戸長」について次のように解説しています。

 戸長は、村の責任を負う村長で、決められた地域の男性住民の多数決で選ばれるが、彼の任命は県の知事の批准によらなければならない。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.83 より引用)

「男性住民の多数決で選ばれる」というのは時代を感じますね。戸長が民選されるようになったのは(1878 年の時点では)比較的最近の出来事のような気もするのですが、イザベラはその点については触れていないようですね。

以前に戸長に対してなされた下賜は廃止され、彼は月に 5、ないし 6 円の固定された給料を受け取っているが、この額は彼がしなければならない多種多様の活動と責務の恒常的増加にはほとんど見合わない。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.83 より引用)

この後に具体的な職務について記されているのですが、県令(知事)との間で交換される全ての公文書類に押印する必要があるほか、税金の収納チェックや戸籍の異動の管理、道路や河川の状態のチェックなどが挙げられています。「月に 5~6 円」というのが現在の貨幣価値に置き換えるとどの程度になるのかは良くわからないですが、村の中のあれこれをかなり広範囲に把握しておかないといけないというのは大変なんだろうな、と思わせます。

The Gunchô

続いて「戸長」を束ねる立場である「郡長」についてです。市町村合併が盛んに行われて「市」に昇格する地域が相次いだ結果、現在では消滅してしまった「郡」も少なくありませんが、小規模な「村」が無数にあった頃は、「郡」は「村」と「県」の間の仲立ちをする重要な存在だったようです。

 彼の上に四つから10の村をまとめた郡と呼ばれる地区の長である郡長がいる。彼は月に12円を受け取り、立派な役所があって助役と書記がいます。彼は地区の戸長を監督しており、各村落の学校、道路の補修、給料などの特別会計を配分し、戸長といっしょに、月ごとに県の予算への地方の分担を取り決めます。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.83 より引用)

「農村の統治構造」を把握したいと願っていたイザベラは、少なくとも自治体の階層構造については十分な理解に達していたようですね。イザベラは、こういった話ができる人物は「例外的な存在」であり、大多数から価値のある話を聞き出せることはできなかった……としていますが、その理由が「無知」から来るものなのか、あるいは「恐怖」から来るものなのかは判断ができなかったようです。

何の根拠もない想像で話をしてしまうと、やはり「無知」(訳文では「無能」)であるが故に、というのが真相では無いかなぁと思ってしまいます。「地方自治」とは言ってみたものの、有形無形の封建的な構造があらゆるところに存在した時代においては「お上の言うことを黙って聞いておけばいい」というメンタリティが幅を利かせていたと思わますし、結果的に従順で無知な人材が拡大再生産されたのではないか……と勘ぐりたくなります。

The Kenrei

「戸長」「郡長」の次は「県令」(知事)についてです。

 地方官僚のトップには、内務大臣に直属する県令がたっています。新潟のような大きな県では、県令は、重要な都市に在勤する代理人と主任秘書官と数人の助言者と大勢の役人を持っています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.84 より引用)

「新潟のような大きな県では」と言われてしまうと、「大きくない県」の実例を知りたくなりますね。具体的にはどのあたりの県で、どのような違いがあったのでしょう。

彼の第一の任務は、警察による秩序維持ですが、警官は県令の下ではなく、江戸の警視庁に属しています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.84 より引用)

ふむふむ。当たり前のことかもしれませんが、警察組織は既に(最初から?)全国的な統制の下にあったのですね。

県令はある程度国税の調整をし、地方税を査定して、道路、河川、堤防、学校、会議を管轄下に置き、もし可能であれば、道路を改善し、商社を援助することにより、交易と商業の増大する要求に答え、相続や養子縁組などに関わるすべての問題の治安判事でもあるのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.84 より引用)

「治安判事」とは耳慣れない言葉ですが、原文に magistrate とあり、それを和訳したもののようですね。もともとはラテン語で「長官」という意味のようで、「(司法権を持つ)行政長官」や「微罪判事」と訳されるケースもあるとのこと。

イザベラは一体何のためにこのような情報を収集して、本国にレポートしたのだろう(もはや完全にスパイ扱いだね)……と思ってしまいますが、劇的に「国のかたち」を変えようとしていた日本がどのような権力構造を目指していたのかという情報は、「旅行記」を期待した読者には不要なものであっても、やはりイギリスの政府関係者にとっては有用なものだった、ということなんでしょうか。

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