2018年12月31日月曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

冬の爆発踏切と角島大橋 2017 (2)「添田線跡」

 

田川郡香春町(かわらまち)の「清瀬橋」というところにやってきました。ここまでの 600 m ほどは、金辺川の左岸を国道 201 号が、そして右岸を国道 322 号が通っていました。(決してめちゃくちゃ広くない)川に沿って国道が完全に並走するというのも、意外とありそうで無いのでは……?



英彦山方面へ

国道 322 号を直進して、香春駅の西側にやってきました。県道 52 号「八女香春線」との分岐が見えてきました。この先を左折すれば英彦山方面です。


もともとは県道 52 号方面に進む一本道だったところに、後付で国道 322 号を接続した構造の交叉点ですね。左折して、英彦山方面に向かいます。


左折して 150 m ほどで、いきなり前方に日田彦山線の立体交差が見えてきました。非電化路線なので、架線や架線柱はありません。電信用の電線も無いので、本当に鉄橋しかありません。


県道 52 号を南下します。日曜日の朝 7:01 ですので、さすがに車の数は少ないですね。



平成元年に開業したので

前方に平成筑豊鉄道田川線の踏切が見えてきました。まだ爆発しないのでご安心ください(ぉ


踏切を渡った先で右折すると田川線の勾金駅(まがりかね──)です……が、ここはそのまま直進します。


左前方にファミリーマートが見えてきました。先程のセブンイレブンもそうでしたが、広い駐車場が確保されているのは嬉しいですよね。



添田線跡

コメリの大任店を過ぎたあたりで、一見何の変哲もなさそうな交叉点が見えてきました。特に案内は無いですが、左折してみましょうか。


……うわわ、なんですかこの真っ直ぐな道路は!(白々しい) 実はこの道路、かつては国鉄でもトップクラスの赤字線で、1985 年 4 月 1 日に全線が廃止された「国鉄添田線」の跡です。


大任町南部のこのあたりで、鉄建公団によって建設が進められていた「油須原線」と接続する予定でした。国鉄の赤字が拡大する中で(鉄建公団によって)建設された油須原線ですが、結局開通することなく放棄されることになります。


前方にデイリーヤマザキが見えてきました。ここの少し手前から田川郡添田町(そえだまち)です。前方の十字路は県道 34 号「行橋添田線」と交叉するものです。つまり、この交叉点はかつては踏切だったと言うことになります。


国鉄添田線の跡は、ほぼ全区間で道路に転用されています。一直線なので辛うじてそれらしさが残っていますが、今や普通に街区に取り込まれているような印象も受けます。



国内トップクラスの赤字路線

このまままっすぐ進めば、日田彦山線の添田駅です。もともと添田線は小倉から添田を結ぶ「小倉鉄道」として建設されました。香春から一直線に添田に向かうルートは彦山川を越える必要がないため建設は比較的容易でしたが、田川伊田・田川後藤寺を経由しないことから需要は伸び悩み、1960 年には香春から田川伊田・田川後藤寺を経由するルートが「日田彦山線」となり、香春から添田までの区間が切り離されて「添田線」となりました。


閑散区間だけを切り離して独立させた結果、路線としての収支は最悪なものとなり、「日本一の赤字路線」として PR 活動を展開したことで知られる国鉄美幸線や、同じく北海道にあった国鉄白糠線とトップ争いを繰り広げることになります。国内トップクラスの赤字路線のお膝元ということで、添田町と美深町は昭和 56 年に「姉妹都市」ならぬ「姉妹町」となったのだそうです。


前方に立体交差が見えてきました。この道路が線路の跡だったことを示しているかな……と思ったのですが、若干高さが足りないような気もします。国鉄添田線が廃止されてから 32 年も経っていますから(取材当時)、廃止後に建設されたか、あるいは線路跡を嵩上げでもしたんでしょうか。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事