2020年12月6日日曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

アイヌ語地名の傾向と対策 (787) 「歩古丹・カムイエト岬・別苅」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

歩古丹(あゆみこたん)

aype-kotan
アワビ・村
aype-kar-us-i
アワビ・獲る・いつもする・ところ

(典拠あり、類型あり)

国道 231 号の長い「日方泊トンネル」を抜けて「濤景橋」「望洋橋」「岬映橋」(こうえい──)「夕観橋」と続いた後に「歩古丹橋」があります。沿岸バスに「歩古丹」というバス停もあるので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません(バスは 1 日 3 往復のみ運行)。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

廻り(七丁四十間)ヲンネナイ(小澤)、大澤の義。(三丁四十間)アイビコタン(岩磯)、鮑處との義。アイヒは本邦の古語也。催馬樂にあゐひさたをりと云にても知らる(番屋二棟、かやくら一棟)。夏秋共に土人爰(ここ)にて鮑をとるなり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.231 より引用)

むむ、「あゆみ」が「あわび」から転訛したものだったとは……。「催馬楽」は丁巳日誌「天之穂日誌」にも言及がありますが、その頭注には次のようにありました。

さいばら 奈良時代の民謡の一つ、馬を引くときの歌。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.442 より引用)

本題に戻りますが、永田地名解にも同様の解が記されていました。

Aibi kar’ushi  アイビ カルシ  鮑(アハビ)ヲ捕ル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.390 より引用)

「アワビ」は既定路線のようですが、「コタン」が「カルシ」に化けました。「カルシ」は kar-us-i で「獲る・いつもする・ところ」と考えられそうですね。

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみたところ、「ヲン子ナイ」(日方泊川?)に「アヱヘカルウシ」と描かれていました。どうやら「アワビコタン」と「アワビカルウシ」の両方の流儀があったようですね。aype-kotan で「アワビ・村」または aype-kar-us-i で「アワビ・獲る・いつもする・ところ」と考えられそうです。

カムイエト岬

kamuy-etu
神・岬

(典拠あり、類型あり)

国道 231 号は「歩古丹橋」と「景峰橋」を渡った後、「マッカ岬トンネル」「紅嶺橋」「ペリカトンネル」と「大別苅トンネル」で大別苅川の中流部に抜けています。マッカ岬から先は古くから「増毛山道」で越えていた難所で、海沿いのルートは昔から存在しなかったようです。

マッカ岬と別苅の間の難所の中で、唯一地理院地図に名前が明記されているのが「カムイエト岬」です。丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

    カムヱヱト
神の岬と云。土人等木幣を納む。むかし判官様此処え山より下り給ひしとかや。依て号るよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.443 より引用)

義経伝説はさておき、kamuy-etu で「神・岬」と考えて良さそうな感じですね。「西蝦夷日誌」にも同様の記載がありましたが……

(七丁五間)カムイチヤシ(岩壁)、神の城跡と云儀。往古判官様〔源義經〕山越して爰へ下り給ひし古跡なりとて、土人等木幣を立て祭るなり。(一丁十五間)カムエエト(大岩岬)名儀、神の岬の儀なり。余も爰に木幣を立、途中の安を祈る。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.232 より引用)

この「カムイチャシ」については「東西蝦夷山川地理取調図」には描かれていませんが、「カムイエト岬」の一丁十五間(約 136 m)ほど手前とのことなので、西隣の岸壁のことみたいですね。

別苅(べつかり)

pes-tukari
水際の崖・の手前

(典拠あり、類型あり)

増毛の中心街から見て南西に位置する一帯の地名です。西側に「大別苅川」が流れていて、国道 231 号が川沿いを通っています。

「東西蝦夷山川地理取調図」を見ると、面白いことに「ホロベツカリ」という川と「ベツカリ」という地名?が描かれています。川名は「大別苅川」でしたが、昔から「ポロベツカリ」だった可能性がありそうですね。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(三丁五間)ヘシトカリ、(幷て)大ベツカリ〔別苅〕(小川、番屋、茅くら、板くら、蛭子社有)、夷家(十七軒)有。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.233 より引用)

「蝦夷日誌」の時点で既に「大ベツカリ」だったのは少々驚きです。また、「ヘシトカリ」と「大ベツカリ」が並んで記されていますが、丁巳日誌「天之穂日誌」では……

    カワチリワキ
    大ヘツカリ
相応の川有。此処より浜道有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.443 より引用)

となっていました(「ヘシトカリ」に相当する記録が無い)。

「ヘツカリ」と「ヘシトカリ」

一方で、永田地名解には次のように記されていました。

Pesh tukari  ペシュ ト゚カリ  岸壁ノ此方 「岸壁ノ行キ留リ」トモ譯ス○別刈(村)ト云フハ誤ル
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.391 より引用)

要は「別苅」は pes-tukari で「水際の崖・の手前」と考えられるのですが、川の名前は poro-pes-tukari で「大きな・水際の崖・の手前」だって……ということに思えます。そして「ヘツカリ」は「ヘシトカリ」のことだった、と言えそうですね。

poro- があるということは pon- が無いとおかしいのですが、少し東側に「ポンナイ川」という川があるので、この両者が対になっていた、ということでしょうか。

前の記事続きを読む


www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事