2020年12月12日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (788) 「エンルコマナイ川・ポンナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

エンルコマナイ川

enrum-mak-oma-nay
岬・後ろ・そこに入る・川

(典拠あり、類型あり)

増毛町別苅を流れる川の名前です。「大別苅川」の東隣を流れていますが、大別苅川と比べるとかなり短い川です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には該当しそうな川が描かれていないようですが、「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(四丁)シレエト(岩岬)、過て(三丁廿二間)エンルモコマナイ(小岬)、名儀、岬有澤の儀也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.233 より引用)

また、永田地名解には次のように記されていました。

Enrum makoma nai  エンルㇺ マコマ ナイ  岬後川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.391 より引用)

うーん。「西蝦夷日誌」の記録から enrum-oka-oma-nay で「岬・後ろ・そこに入る・川」で決まりかな……と思ったのですが、軽く手元で変化する解(どんな解だ)が出てきましたね。enrum-mak-oma-nay で「岬・後ろ・そこに入る・川」ですから、意味するものは全く同じか、ほぼ同じか……。

「再航蝦夷日誌」では

幸いなことに他にも記録があるので、サンプル数を増やしてみましょうか。「再航蝦夷日誌」には次のように記されていました。

幷て
     エンルモクマナヱ
此辺浜道よろし。小川有。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.74 より引用)

「エンルモクマナヱ」は、どちらかと言えば enrum-oka-oma-nay に近いでしょうか。とは言え enrum-mak-oma-nay も「エンルマコマナイ」と発音できそうなので、「マコ」が「モク」に音韻転倒しただけだ、と言えば問題ないレベルとも言えそうですね。

丁巳日誌「天之穂日誌」では

丁巳日誌「天之穂日誌」は、行きは「ヱンルモコマナイ」で帰りは「エンルンコマナイカツチ」とありますね……。katchi という謎の語彙は現在の辞書には出てきませんが、平山裕人さんの「アイヌ語古語辞典」によれば、1704 年の「松前・蝦夷地納経日記」に「カツチマタヘテトク」という語彙が見つかるとのこと。

悪質なコピペを続けるのは程々にして、引用してしまいますと

「カツチマタヘテトク」は「山の奥」を意味するとのことなので、そうであれば katchi-mata-{pet-etok} は「深山・冬・{水源}」と読み解けそうな気がします。つまり、katchi は「山」あるいは「深山」と解釈できるんじゃないか、と思えてきます。

久しぶりに katchi と再会したわけですが、前回が遠別町で今回が増毛町ですから、一応どっちも留萌振興局ですね。

謎の語彙「カツチ」

丁巳日誌「天之穂日誌」には少し気になる書き方も見られるので、引用しておきましょうか。

少し下り、また上りしてしばし行此処ホンナイを左りに見る
     エンルンコマナイカツチ
過てまた少し峻敷方を上るや、しばし行て
     大ベツカリ左り沢のカツチ
過て後ろを振顧り見れば、ルヽモツヘの方能く見ゆ。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.154 より引用)

これを見る限り、松浦武四郎は「カツチ」という単語の意味をちゃんと把握していたと考えたくなります。ここまで見てきた印象から意味を推測すると、概念としてではなく実体としての「深山」「山地」と言ったところなんでしょうか……?

帰りの「天之穂日誌」で「エンルンコマナイカツチ」とあるのは、もしかしたら「エンルンコマナイカツチ」が正解なのかもしれませんね。川の名前はあくまで「エンルンコマナイ」で、「カツチ」というのは「左り沢のカツチ」と同様にメモだったと考えれば納得できそうにも思えます。

図らずも謎の語彙である「カツチ」論議に移ってしまいましたが、どうやら完全なミスディレクションだったような気がしてきました(すいませんすいません)。

ポンナイ川

pon-nay
小さな・川

(典拠あり、類型あり)

エンルコマナイ川と、別苅郵便局の近くを流れる「ニナイベツ川」の間を流れる川の名前です。増毛町別苅って思った以上に広い上に川がいくつもあるので、毎度イントロに悩む次第です……。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホンナイ」という名前の川が描かれています。面白いことに「ホロベツカリ」よりも大きな川として描かれていますが、実際には「ホロベツカリ」と推定される「大別苅川」のほうが奥深くまで遡ることができます。

面白いのが、「東西蝦夷山川地理取調図」での「ホンナイ」は中流部から上流部にかけて枝分かれするように描かれているのですが、これはある程度実際の地形に即した形で描かれているんですよね。

永田地名解には次のように記されていました。

Pon nai  ポン ナイ  小川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.391 より引用)

ツッコミを入れる隙間が全く無さそうな記述ですね。pon-nay で「小さな・川」と考えるしか無さそうです。

ただ面白いことに、周辺には「ポンナイ」と対になっても良さそうな「ポロナイ」が確認できません。このあたりの「ポロ」と言えば「ホロベツカリ」こと「大別苅川」ですが、明治時代の地形図を見ると「ペシュト゚カリナイ」と描かれていました。

となるとやはり「大別苅川」は poro-pes-tukari-nay で、「ポンナイ」は poro-pes-tukari-nay だったのでは、と考えたくなります。pes を「水際の崖」と考えた場合、ポンナイ川の西側に山が迫っているところがあって、これを「水際の崖」と解釈したのではなかろうか、と考えているところです。西側に山が迫っている川は「ニナイベツ川」のほうだったので、あまり pes-tukari-nay な感じがしないところが弱いですが……。

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