2019年8月10日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (650) 「ツネカムリ川・豊多朱内・三泊」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ツネカムリ川

ci-ni-kapar
枯れた・木・薄っぺらくなる


留萌市塩見町の北側、陸上自衛隊留萌演習場の西側を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には該当しそうな場所に「チニカハル」という川が描かれています。「ツネカムリ」と「チニカハル」、似ているようでもあり、違うようでもあり、判断に苦しむところですが……。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(四丁)チニカマル(平濱)、此處の山、樹木あまりて繁茂せざる故とも云り。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.253 より引用)

また「再航蝦夷日誌」にも次のような記録がありました。

少し斗行て
     チニカハル
チニカマルと訛るなり。浜つゞき玫瑰多し。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.81 より引用)

これらの記載を参考に永田地名解を見てみると、次のような記載が見つかりました。

Chi ni kapara  チニ カパラ  樹木短キ處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.395 より引用)

「樹木短キ處」という説明は西蝦夷日誌の解にも通じるものがありますが、果たして「チニカパラ」をそのように解釈できるのでしょうか。

kapar と言えば「水中の平岩」と解釈する場合が多いですが、完動詞として「薄っぺらである」「薄っぺらくなる」と解釈することができます。ci は「枯れる」で ni は「木」ですから、ci-ni-kapar であれば「枯れた・木・薄っぺらくなる」と読めそうでしょうか。

海岸の砂浜は風が強いため、どうしても樹木は地を這うように生長するケースが多いかと思います。チニカパラのあたりもそんな感じだったのではないでしょうか。

豊多朱内(とよたしゅない)

toy-ta-us-nay
畑・掘る・いつもする・川?
toy-ta-us-nay
食土・取る・いつもする・川


ツネカムリ川から国道 232 号を 800 m ほど北に向かったところに「豊多朱内橋」という橋があります。現在の川名は不明ですが、明治時代の地形図には「トイタウㇱュナイ」という川の存在が記されていました。

「再航蝦夷日誌」には次のように記されていました。

小石浜しばし行て
     トエタシナイ
小川有。同じく上の方平地也。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.81 より引用)

また、「竹四郎廻浦日記」にも「トヱタウシナイ 平地也」と記されていました。

「西蝦夷日誌」には、もう少し踏み込んだ解が記されていました。

(七丁廿間)トエタウシナイ(小川)、畑有義也。上に畑跡多し。是等の事に依て號るに、往古は此地に畑多かりしものと見ゆる也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.253 より引用)

永田地名解には、西蝦夷日誌の記載も参考にしたか、次のように記されていました。

Toita ush nai  トイタ ウㇱュ ナイ  畠ヲ作ル澤
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.395 より引用)

確かに toy には「畑」という意味もありますので、toy-ta-us-nay であれば「畑・掘る・いつもする・川」と読み解くことができます。ただ、toy-ta-us-nay は「食土・取る・いつもする・川」と考えるほうが一般的な感じもします。

道内各所に「チエトイ」という地名があり、これは chi-e-toy で「我ら・食べる・土」と解釈されます。このことから「アイヌは土を食べるのか!」と思われる場合もあるようですが、実際には鍋料理の調味料(中和剤)として使うもので、土そのものをパクパクと食べていたわけでは無いとのことです(そりゃあそうですよね)。

この「チエトイ」という「調味料」の採れるところが、地名として道内各所に残されています。今回の toy-ta-us-nay も同様の地名ではないかな……と思えるのです。

三泊(さんとまり)

san-tomari?
前に出る・泊地


「豊多朱内橋」の北側が「留萌市三泊町」です。かつて国鉄羽幌線にも「三泊駅」がありましたが、駅は豊多朱内橋やツネカムリ川よりも南側にありました。

駅名ということでしたので、まずは「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  三 泊(さんとまり)
所在地 留萌市
開 駅 昭和 2 年 10 月 25 日 (客)
起 源 アイヌ語の「サントマリ」(出し風を避ける港)から出たもので、留萌の副港をなしていたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.105 より引用)

sanは「山から浜に出る」と解釈されるので、なるほど san を「出し風」と解釈した、ということですね。

一方で、「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(三丁廿間)サン泊〔三泊〕(小灣)名義、サンチユフ泊にて、往古異國の繩からげ船が流寄りし故號くと。此船時々天鹽邊より北蝦夷地にはよる事有也。恐らくは是滿州邊の船か。余は北蝦夷に流れよりしと、佐渡の海府通り矢柄村に着しを見たり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.254 より引用)

「チユフ」は、もしかしたら chip で「舟」なのでしょうか。ただそれだと語順がおかしいような気もします。謎ですね……。

一方で、永田地名解にはもう少しわかりやすい解が記されていました。

Sham-o-tomari  シャモトマリ  和人ノ泊 三泊村ト稱ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.395 より引用)

凄くシンプルな解釈なのですが、「再航蝦夷日誌」に「夷人小屋有」とあることに若干の注意が必要になりそうです。

更科源蔵さんは「アイヌ語地名解」の中で、この「三泊」について詳しく検討していました。

三泊は『駅名の起源』では「出し風を避ける港」という意味から出たというが、古い地図にはシヤモトマリ(和人の港)とあり、永田方正氏も『シヤモトマリ(和人の泊)三泊村卜称ス」といっているが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.141 より引用)

これを見ると俄然「シャモトマリ」説が有力に思えてくるのですが、「古い地図」には永田地名解の影響が随所に見られるので、証明としてはちょっと弱いというのが正直なところです。今日のところは、素直に san-tomari で「前に出る・泊地」としておこうかと思います。何が「前に出た」のかは、異国の舟かもしれませんし、あるいは風だったのかもしれませんが……。

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