2023年3月12日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1020) 「温根元」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

温根元(おんねもと)

onne-{mo-etu}?
大きい方の・{小さな岬}
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
トーサムポロ沼」と「納沙布岬」の中間あたりに位置する地名です。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ヲン子モト」とあり、「初航蝦夷日誌」(1850) や戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」にも「ヲン子モト」と記録されています。

ところが、永田地名解 (1891) を見てみると……

Onne moi   オンネ モイ   大灣 「オンネモト」ト呼ブ「アイヌ」村アリシ處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.363 より引用)
おやおや……。onne-moy で「大きな・湾」ではないかと言うのですね。明治時代の地形図を見てみると、現在漁港があるあたりに「オン子モイ」とあり、Google マップで「ヲン子モトチャシ跡」とあるあたりが「オン子モイ崎」、そして「根室市水産研究所」があるあたりに「ポンオン子モイ」と描かれています。

「ト」は「イ」の誤字か?

ここまでの流れを見てみると、松浦武四郎が「オン子モト」と記録したのは、「イ」を「ト」に誤記するという大胆なミスが原因で、このミスは永田地名解で修正された……というシナリオを考えたくなります。ところが陸軍図では「オンネモト」と「ポンオネモト」がまさかの復活を遂げていて、現在の「温根元」表記に続いているように見受けられます。

永田方正は少なくとも「オンネモト」と呼ばれる地名があったことは認識していて、その上で「オンネモイ」が *正しい形* だ!と考えたようです。これまでの例から、「松浦武四郎が『オンネモト』と記録した」というのであれば出典を明記した上で全力で批判したと思われるので、これはやはり「オンネモト」と呼ぶ流儀があった……と考えたくなります。

周辺の地名を列挙してみた

仮に「『オンネモイ』じゃない『オンネモト』だ!」として、「じゃあ何を意味しているの?」とツッコまれるのがオチなのですが、皆目見当がつかないので、とりあえず毎度おなじみの対照表を作ってみましょうか。

東西蝦夷山川地理取調図初航蝦夷日誌戊午日誌「東部能都之也布誌」明治時代の地形図陸軍図
ヒリカヲタヒリカヲタヒリカヲタ--
ヲン子
コタンケシレト
-ヲン子コタンシレト
(岬)
--
コタンケシコタンケシ
(小石浜)
コタンケシベツ--
ウエン
チヤシユツノツ
--トーサムポロ崎?トーサㇺポロ崎?
ウエン
チヤシコツモイ
ウエンチヤシ
(小湾)
ウエンチヤシモイ
(少しの湾)
-ポンオネモト?
--ウエンチヤシコツ
(城跡)
--
カ子フモシリ-カ子フモシリ
(暗礁つづきに島)
--
マカマフカマフ
(海岸暗礁多)
カ子フ(少しの岬)オン子モイ崎?-
ホイナイ-ホイナイ(小川)--
チヤシコツ-チヤシコツ--
--(少しの岬)--
ヲン子モトヲン子モト
(小川有り)
ヲン子モト(小川)オン子モイオンネモト
ホンモイ-ホンモト
(少しの岬)
--
ヘツチヤラセヘウチヤラセ
(小川有り)
ペウチヤラセ
(崖の狭間より
渓川落る)
--
--コエカノツ(岬)--
コエカヘツコエトイヘツ
(小川有り)
コエカヘツ(小川)--
コエカ----
ノツシヤムノツシヤフ岬ノツシヤフ(岬)納砂布崎納沙布岬

さぁ、そろそろ何かが見えてきたでしょうか。実は私はさっぱり何も見えてこないのですが……(ぉぃ)。最大の謎が、現在「根室市水産研究所」のある岬状の地形について、言及が無いように見えるところです。これは「カ子フ」が水産研究所のあたりを指すと考えることで、なんとかなりそうな気もしますが……。

気になる「ホンモト」

ちょっと気になるのが、戊午日誌「東部能都之也布誌」にある「ホンモト(少しの岬)」です。「午手控」(1858) に距離つきで記録されているので、ちょっと長めに引用してみます。

引かへし北海岸七八丁にて
   コヱカヘツ
小川崖の上に一すじ有。此辺一面崖也。少し行凡五六丁
   コヱカ
大岩崖出さき、上は小ざゝ平野也。又五六丁、少し下り
   ヘツチヤラセ
小川有、崖小滝、上はかや原、木なし。又七八丁にて少し下り
   ホンモト
小川有、又少し山をこヘ
   ヲン子モト
小川有、こへ向の岸に出さき
   チヤシコツ
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 五」北海道出版企画センター p.245-246 より引用)
「コエカヘツ」は「望郷の塔」(現・オーロラタワー)のあたりを流れていたと考えられるでしょうか(明治時代の地形図より推定)。そこから「凡五六丁」ということは 5~600 m ほど……となりますが、確かに僅かに岬のような場所があります。

「五六丁」(5~600 m ほど)で「ヘツチヤラセ」があり、そこから「七八丁」(800 m ほど)に「ホンモト」があったことになりますね。「午手控」では「小川有」となっていますが、これは現在「オンネモト沢川」と呼ばれる川(地理院地図には記入なし)と考えられそうです。

「ホンモト」について、戊午日誌「東部能都之也布誌」を引用してみると……

また並びて、
     ホンモト
少しの岬也。此上をこゆる。上は一面の茅原也。此処もむかし人家有りし由也。下り少しの浜を通りてまた
     ヲン子モト
また小川有。其処昔し人家の跡有。また少しの岬有て、其をこへて
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.591 より引用)
「少しの岬」→「少しの浜」→「小川」→「少しの岬」と歩いたことになっています。「少しの浜」の正体ですが、諸々の前後関係から考えると現在の温根元漁港のあたりだと思われます。

「モト」は「少しの岬」か?

めちゃくちゃ文字数を使って何を言おうとしているのだ……と思われるかもしれませんが、
  1.  「ヲン子モト」と「ホンモト」という地名が存在した
  2.  「ヲン子モト」の東西にそれぞれ「少しの岬」が存在した
という点を、なんとか立証できないかなーと思った……というところです。

ということでようやく本題の「オンネモト」って何? という話ですが、「少しの岬」を mo-etu あるいは mo-tu と呼んだのではないか……と考えてみました。対照表によると「ノツシヤフ」から「ヒリカヲタ」までの間に合わせて 4 つ以上の「岬」と「少しの岬」があったことになりますが、これは今日的な基準で「岬」をカウントした場合の数を上回ることになります。

この矛盾を乗り切るためには「岬」の定義を捻じ曲げるしか無いのですが、幸いなことに「鼻」や「岬」を意味する etu などの語彙は内陸部の地名にも使われるケースがあります(たとえば清里町の「江鳶川」とか)。

つまり、「少しの岬」は「鼻」のような形をした出崎状の段丘を指していたのではないか、そしてその出崎状の段丘は東西に二つあり、onne-{mo-etu} で「大きな・{小さな岬}」と pon-{mo-etu} で「小さな・{小さな岬}」があったのでは……と考えてみました。

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