2021年9月17日金曜日

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春の道北・船と車と鉄道で 2016 (182) 「乙忠部 (Otchube)」

 

風烈布の集落を抜けて、再び海の近くに戻ってきました。右手に立派な鉄塔が見えますが、これは何なんでしょう……? 火の見櫓かと思ったのですが、それにしてはちょっと背が高すぎるようにも見えますし。防災無線あたりのアンテナとかでしょうか……?
ちなみにここにも押ボタン信号がありますが、左側に「枝幸南中学校」があります。高台でも無いところに学校とは珍しいな……と思ったのですが、実はここも標高 15 m の台地の上だったようです。

乙忠部 (Otchube)

風烈布から北西に向かい、乙忠部おっちゅうべに入ります。アルファベット表記が Occhube ではなく Otchube なのが、以前から気になっていたんですよね。
乙忠部は音標と似たような規模の集落ですが、漁港側ではなく国道沿いに家屋が集中しているのが音標との違いでしょうか。そして左手にはなんと「うたのぼり健康回復村」の看板が!
乙忠部小学校の前の交叉点からは道道 1023 号「上徳志別乙忠部線」が分岐していて、左折すると歌登に行くことができます。
小学校の前の十字路は、向かいに郵便局があり、斜め向かいにはセイコマがあります。T 字路のように見えますが十字路で、右折すると乙忠部漁港に行けるみたいです。

道道 1023 号へ

ということで、左折して、これまで走ったことが無かった道道 1023 号を走ってみることにしました。
これは箱型のヘキサとでも言うのか、路線名表示が青看板のようになっていて面白いですね。
鳥居が見えますが、これは「乙忠部神社」とのこと。漁港と郵便局と小学校と神社とセイコマ、これはなかなかのラインナップでは……?(お寺もあるようですが、少し離れたところです)

山の中の「臨海橋」

「乙忠部川」を「乙忠部橋」で渡ります。
道道 1023 号は「乙忠部川」沿いを遡る関係で、何度か川を渡ることになるのですが、次の橋は「臨海橋」という名前でした。海から 2 km ほど内陸部に入ったところなのですが、なぜ「臨海」なんでしょう……?
2 車線の快適な舗装路が続きます。

「瀞橋」と「時雨橋」

道道 1023 号は乙忠部川沿いを遡り、峠を越えてタチカラウシナイ川(徳志別川の東支流)沿いに出ます。現在はどちらも枝幸町内ということもあり、峠を越えたという実感はあまりありません。
道道 1023 号は「タチカラウシナイ川」の支流である「記井ノ沢川」を渡るのですが、なぜか手前(上流側)の橋が……
とろ橋」という名前でした。「瀞」は「長瀞」とか「瀞峡」とかの「瀞」ですが、なぜこのような名前にしたのでしょう……?
その後、もう一度「記井ノ沢川」を渡るのですが、この橋の名前は「時雨しぐれ橋」でした。なかなか洒落た感じのネーミングですが、「川名の由来」ならぬ「橋名の由来」を記した案内が欲しくなりますね。

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2 件のコメント:

<セルダン> さんのコメント...

謎の鉄塔は携帯基地局っぽいですね
https://goo.gl/maps/JsLSnz5U1omyFzEE9

「うたのぼり健康回復村」の看板の後ろにあるのも同じ感じ
https://goo.gl/maps/NReLC7MvqZ6XuYqV6

Bojan さんのコメント...

<セルダン> さん:

あ、携帯電話の基地局でしたか。海沿いの平野部で人が住んでいるところにはちょくちょくある筈なので、気をつけてみようと思います。

乙忠部の「うたのぼり健康回復村」の看板の後ろにも似たつくりの鉄塔があるなーと思いながらスルーしていたのですが、お見事です!

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