2019年9月7日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (658) 「ホロナイ川・オシルスナイ川・ヤオシルスナイ川・オコツナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ホロナイ川

poro-nay
大きな・川


苫前の市街地のすぐ南を流れて直接日本海に注ぐ川の名前です。poro-nay であれば「大きな・川」となるのですが……

西蝦夷日誌には次のように記されていました。

ポロナイ(歩行渡り)、大澤の義。昔しの穴居跡あり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.264 より引用)

あー、見事に一点の曇りもなく「ポロナイ」だったようです(汗)。このホロナイ川、地理院地図では途中で途切れる形で描かれていますが、それだけ流量が少ない……と理解しました。

そんなに小さな川を poro と呼んだのは何故かという話ですが、更科さん風に解釈すると「大切な・川」であるが故、という可能性が浮かんできます。苫前の市街地はホロナイ川のすぐ北ですが、台地の上なので、水を確保するのは容易では無かったように思われるのですね。ホロナイ川は、水を確保する上で貴重な川だったのではないかと。

また、naypet の概念が違うと仮定して、nay が「谷」を意味するとすれば、ホロナイ川は(川としては大したことが無いけれど)10 m 以上の高低差のある谷ではあります。単にこういった特徴から「大きな・谷」と呼んだ……という可能性も考えられそうですね。

まぁ、nay が「谷」なのであれば、樺太(サハリン)にはやたらと nay が多い、という分布の説明ができなくなるのですが。

オシルスナイ川

kotan-kor-os-sir-us-i
集落・持つ・尻・水際の断崖・についている・もの(川)


苫前町豊浦(苫前の市街地の北東)を流れて、直接日本海に注ぐ川の名前です。明治時代の地形図には「シルシシオ」という川が描かれています。右から読まないといけないので「オシシルシ」が正解ということになりますね。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ウシスルシ」という川が描かれていました。また、「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     ラシヽルシ
同じき崖也。小川有。巾三四間。往昔は夷家三軒。当時はなし。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.508 より引用)

ラシ……。「ヲシ」の間違いだと思いますが、誤植か、それとも原典の誤記か、どうなんでしょう。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

越て崩下、(九丁四十間)コタンコロヲシヽルシ(小川)、名義、村のある後ろの義。澤目に人家跡多し。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.267 より引用)

ふむふむ。kotan-kor-os-sir-us-i で「集落・持つ・尻・水際の断崖・についている・もの(川)」と読めそうですね。

永田地名解には次のように記されていました。

Kotan koro osh shiri ushi  コタン コロ オㇱュ シリ ウシ  村後ノ地
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.404 より引用)

「西蝦夷日誌」とほぼ同じ形で地名を記録していますが、「村後ノ地」というのは随分と簡略的な記載です。知里さんが「これだから永田地名解は……(ぷんすか)」と憤ってそうな書きっぷりですね。

ヤオシルスナイ川

ya-wa(-an)-os-sir-us-i
内陸側・に(・ある)・尻・水際の断崖・についている・もの(川)


苫前町昭和・中昭和のあたりを流れて直接日本海に注ぐ川の名前です。永田地名解には次のように記されていました。

Yau osh shiri ushi  ヤウ オㇱュ シリ ウシ  小ナル後地
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.404 より引用)

ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヤワウシスルシ」という名前の川が描かれていました。「ヤウ」ではなく「ヤワ」なのがポイントでしょうか。

「竹四郎廻浦日記」には「ヤワヲシスルシ」という名前の「小川」が記録されています。「西蝦夷日誌」にも「ヤワヲシシルシ」とあるため、やはり元々は「ヤワ」という音だったのでは、と思わせます。永田地名解の「ヤウ」は筆が滑ったと言ったところでしょうか。

肝心の地名解ですが、ya-wa(-an)-os-sir-us-i で「内陸側・に(・ある)・尻・水際の断崖・についている・もの(川)」あたりでしょうか。「内陸側にある」というのは「オシルスナイ川」との比較だと思うのですが、実際には北側にあります。何故 ya-wa(-an)(内陸側・にある)なんだろう……と思ったのですが、「水際の断崖」が内陸部にある、ということかもしれませんね。

オコツナイ川

o-u-kot-nay
河口・互いに・合流する・川


ヤオシルスナイ川の北(苫前町北昭和)のあたりを流れて直接海に注ぐ小河川の名前です。小河川すぎて地理院地図には名前の記載がありません。かつてこのあたりに国鉄羽幌線の「興津仮乗降場」があり、少し北には現在も「苫前町興津」という地名が健在です。

明治時代の「北海道地形図」にも記載がないのは当然として、なんと「東西蝦夷山川地理取調図」にも名前が見当たりません(「ヲヽロチナイ」という川がありますが、「オコツナイ川」と同一であるかどうかは要検討)。

「竹四郎廻浦日記」には「ヲヽコツナイ」という川が記録されています(あ、「ヲヽロチナイ」は「ヲヽコツナイ」の誤記かもしれませんね)。「西蝦夷日誌」にも次のように記されていました。

(一丁十間)ポンナイホ、(八丁四十間)ヤワヲシシルシ、(二丁廿間)ヲヽコツナイ、(十三丁四十間)ヒライトコヲマナイ、(四丁五十間)ヲチヤセナイ、(十九丁三十間)シユルクヲマナイ(小川)等、惣て平の下沙道宜し、上は平地なり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.267 より引用)

「惣」には「そうじ」とルビが振られていますので、「惣て」で「そうじて」と読めば良いということになりますね。

永田地名解には次のように記されていました。

O ukot nai  オ ウコッ ナイ  合川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.404 より引用)

ということで、o-u-kot-nay で「河口・互いに・合流する・川」ではないかと考えたようです。つまり、海に注ぐ直前に他の川と合流する川ということになりますが、現在はそういった川が見当たりません。もしかしたら、南隣の「ヤオシルスナイ川」と「オコツナイ川」が海のすぐ近くで合流していたのかもしれませんね。

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