2019年6月30日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (643) 「ペケレット沼・釜谷臼・烈々布」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ペケレット沼

peker-toska
明るい・土手


茨戸川(旧・石狩川)の南側に存在する周囲 700 m ほどの沼の名前です。小さな湖沼であるものの、Wikipedia にも記事が立っていました。

ペケレット湖(ペケレットこ)は、北海道札幌市北区篠路町篠路にある沼である。「ペケレット沼」(ペケレットぬま)とも呼ばれている。 湖名の由来は、アイヌ語の「ペケレ・ト」(明るい沼)。
(Wikipedia 日本語版「ペケレット湖」より引用)

今回は地理院地図の記載に従って「ペケレット沼」としましたが、一般的には「ペケレット湖」のほうが広く使われているのかもしれませんね。peker-to で「明るい・湖」と言うことでしょうか。

念のため、山田秀三さんの「北海道の地名」も見ておきましょうか。

ペケレット沼
 伏篭川川口の少し東にある半月形の小沼。行楽地になっていて,今の名からペケレ・ト(明るい・沼)と考えられがちであるが,原名は少しちがっていた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.26 より引用)

えっ……! ええっ!!

 松浦図はヘケツテシカだが「テ」は書きちがいらしい。再航蝦夷日誌はペケレトシカ。西蝦夷地場所絵図ではサツポロフト(伏篭川口)の東側に小沼がついている形を描いてヘケリトシカである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.26 より引用)

慌てて明治の頃の地形図を見てみると、確かに「沼カェㇱトレケペ」とあります。どことなく「ダァシェリイェス」な感じもしますが(しません)、右から読むと「ペケレトㇱェカ沼」と言うことになりますね。

永田地名解にも、確かに次のように記されていました。

Pekere toshka  ペケレ トシュカ  明堤 舊札幌川口ノ右傍ニ在ル堤ナリ草ノミ生シテ樹木ノ陰影ナシ故ニ名クト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.34 より引用)

山田さんは、永田地名解のこの記述を引用した上で、次のように続けていました。

トㇱカ(toshka)には適語が考えつかない。流れに削られたような形の川岸をいった言葉だとかいう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.26 より引用)

ということで、てっきりこれも「失われたアイヌ語語彙」なのかと思ったのですが、何のことはない、知里さんの「──小辞典」にしっかりと記載がありました。

tos-ka  とㇱカ 低い崖; 小坂; どて。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.133 より引用)

どて。……でいいじゃないですか。peker-toska で「明るい・土手」と解釈することができます。

現在では Wikipedia のみならず「明るい湖」という解釈が広く一般的に知られていますが、ただこの解釈が誤り……とも言い切れません。永田地名解にもあるように、peker-toska は「堤」の名前であって、池の名前ではありません。

元々は松浦武四郎も記録した peker-toska という地名があり、その近くにある湖だったので peker-to と呼ぶようになった……と考えた場合、「ペケレット湖」は「明るい湖」である、という解釈は正しいことになります。

「『ペケレット湖』は元々は『ペケレトシカ』という堤の名前から来てるんだよ」ということを知るのは悪くないですが、こういう知識?をドヤ顔でひけらかすと「痛い人だよ!(ビシっ)」と思われるかもしれないので、程々にしておいたほうが良さそうです(ぉぃ)。

釜谷臼(かまやうす)

kama-ya-us-i
平岩・岸・ある・ところ


「学園都市線」の愛称で知られる JR 札沼線の「あいの里公園駅」は、1995 年までは「釜谷臼駅」という名前でした。ということでまずは、毎度おなじみ「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  釜谷臼(かまやうす)
所在地 札幌市
開 駅 昭和 33 年 7 月 1 日 (客)
起 源 アイヌ語の「カマヤ・ウシ」(平たい岩のあるところ)から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.51 より引用)

ふむふむ、kama-ya-us-i で「平岩・岸・ある・ところ」と解釈できそうですね。知里さんの「小辞典」には kama-ya で「扁盤の岸」とあるので、事実上はワンセットと考えてもいいのかもしれません。

現在は「釜谷臼」という地名は既に失われていますが、「札幌地名考」に興味深い記載を見つけました。

昭和十二年の字名統合で篠路町拓北となったが、昭和九年の札沼線開通以来、地元の人々が待ち望んだ駅が同三十三年七月この地に設けられ、旧名による釜谷臼駅と名付けられ現在に至っている。
(札幌市教育委員会・編「札幌地名考」北海道新聞社 p.57 より引用)

へぇぇぇ。駅が開設された 1958 年の時点で、既に「釜谷臼」という地名は過去のものになっていたんですね。それを駅名として復活させたというのは胸熱な話です。

既に同名の「拓北駅」があったからそれを忌避したのか……とも思ったのですが、拓北駅の開業は 1967 年なので、「釜谷臼駅」のほうが先にできたことになります。

烈々布(れつれっぷ)

ru-e-tuye-p??
道・そこで・切る・もの
ru-turas-pet???
道・沿って上る・川


丘珠空港の西側から北西側にかけての一帯は、かつて「烈々布」という地名でした。地名としては既に存在しませんが、「烈々布神社」や「烈々布公園」などに残っているほか、「烈々布排水川」という名前の川も健在です。

とは言え、失われた地名とも言うべきものなので、全体的に資料は少なめです。更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 烈々布(れっれっぷ)
北区の通称地名、昔は広い葦原であった、アイヌ語の意味不明。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.104 より引用)

いつも通りの更科節をいただきました。ありがとうございます。続いて「札幌地名考」を見てみましょうか。

烈々布(れつれっぶ)
 烈々布と言う文字は『札幌村史』によると、明治一二年(一八七〇)烈々布に農家が七戸あり、と出ているのが最初である。この農民達はおそらく土地と水の便がよい伏篭川の川沿いに入植していたものと思われる。
(札幌市教育委員会・編「札幌地名考」北海道新聞社 p.62 より引用)

はい、ここまでは良いですね。そして続きがありまして……

 烈々布とはアイヌ語に由来すると思われるが意味不明である。
(札幌市教育委員会・編「札幌地名考」北海道新聞社 p.63 より引用)

あー……。こうなっては仕方がありません。ソースはウィキペ(キリッ)ということで……

この川の始点は旧石狩街道によって伏籠川から切断されており、アイヌ語研究家の藤村久和は語源を「ル・エ・トイェ・プ (ru-e-tuye-p)、道がそこで(川を)切っているもの」と考察している。
(Wikipedia 日本語版「烈々布」より引用)

ふむふむ。ru-e-tuye-p で「道・そこで・切る・もの」と考えたのですね。「ルエトゥイェプ」が「レツレップ」になったという流れもとても自然なもので、巧みな解であるように思えます。

ただ、「道がそこで(川を)切っているもの」は、もしかしたら逆で「道をそこで切っているもの(川)」のような気もします。

さすがに「ソースはウィキペ(キリッ)」で済ませてしまうのも如何なものかと思ったので、手持ちの資料を全力で当たってみたんですが、これと言ったネタは見つからず……。もしかしたら ru-turas-pet で「道・沿って上る・川」という可能性はあったりしないかな、と思った程度です。

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