2020年7月25日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (748) 「赤川・アッケプナイ川・トコタン川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

赤川(あかがわ)

hure-nay
赤・川
hure-pet
赤・川

(典拠あり、類型あり)

道央道の「虻田洞爺湖 IC」の近くを流れる川の名前です。早速ですが永田地名解を見てみましょう。

Hūre pet  フーレ ペッ  赤川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.173 より引用)

あー……そのまんまでしたね(汗)。hure-pet で「赤・川」だったようです。

ちなみに「東西蝦夷山川地理取調図」には「フレナイ」という名前の川が描かれていて、「竹四郎廻浦日記」にも次のように記されていました。

並て砂浜、しばしにて
     ヲモナイ 砂浜
     フレナイ 同
本名フウレナイなるべし。当所に赤也(き)崖有下に小流有によつて号るなるべし。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.578 より引用)※ 原文ママ

ここでは hure-nay で「赤・川」となっていますね。naypet の使い分けは必ずしも厳密ではない……というか、いつの間にか naypet に(またはその逆)化けているというケースもちょくちょく目にします。ここもそんな感じだったでしょうか。

「東蝦夷日誌」には次のような記載がありました。

フレナイ(會所、止宿所、制札、備米くら、馬屋、井戸櫓、漁や、板くら八棟、鍛冶蔵)是をアブタ〔虻田〕の會所といへり。其儀は元虻田に有しが、文政五(壬午)閏正月十五日臼〔有珠〕岳焼の時、此所へ移したる故、其名残れる也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.55 より引用)

どうやら「フレナイ」は会所の名前でもあったようで、有珠山の噴火に伴って移転してきたとのこと。「虻田洞爺湖 IC」も有珠山の噴火に伴って移転した過去がありますが、歴史は繰り返すんですね。

アッケプナイ川

at-kep-nay???
オヒョウの樹皮・剥ぐ・川

(??? = 典拠なし、類型未確認)

赤川の西支流で、虻田洞爺湖 IC の 0.3 km ほど北側で赤川に合流しています。地理院地図にも川として描かれていますが、残念ながら名前の記載はありません。

手元の資料にも記載が無いのですが、意味するところは明瞭に思えます。at-kep-nay で「オヒョウの樹皮・剥ぐ・川」と見て良いのではないでしょうか。

普通にありそうな地名だと思ったのですが、ちらっと調べた限りでは類型を確認できず。そのため「???」にしてますが、もう少し信頼性はあると思っています。

トコタン川

tu-kotan
廃・村

(典拠あり、類型あり)

洞爺湖町南部、太平洋に注ぐ独立河川の名前です。残念ながら「東西蝦夷山川地理取調図」には描かれていないようです。

幸いなことに永田地名解に記載がありました。

Tu kotan, or tuk kotan ト゚ コタン  廢村 「トㇰコタン」ト云ヘバ始メテ出來タル村ノ義○此村ハ噴火ノ後廢村トナリ今ハ土人ノ部落ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.172 より引用)

ということで、どうやら tu-kotan で「廃・村」と考えられそうです。

tuk-kotan であれば「初めてできた村」と解釈できる……とありますが、これは tuk を「出る」あるいは「生える」と解釈したからでしょうか。地名の場合は「小山」だったり「隆起」と解釈する流儀のほうが一般的かな、と思います。たまたまコタンの一角が火山活動で隆起した……という可能性もゼロではないかも、ということで。

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