2018年9月24日月曜日

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「日本奥地紀行」を読む (84) 新潟(新潟市) (1878/7/9)

 

本日も引き続き「第二十一信」を読み進めます。イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在しますが、「第二十一信」は普及版では全てカットされています。



彫像

新潟の「街ブラ」をエンジョイ中のイザベラですが、今度は仏具店にやってきたようです。

漆器店があるのと同じ通りに仏具店があります。仏具店の裏手では、イザヤ書に記されているような、未加工の木塊から最後の細かな仕上げに至る仏像を彫る作業の全工程が見られます。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.276 より引用)

なるほど、仏具店の裏手に工房があるんですね。未加工の木塊から仏像を彫る……と言われると、円空仏なんかを想像してしまうんですが、素彫りのものから仏壇に収められるクオリティの精密な?仏像に仕上げるのにはどれくらいの期間がかかるものなのでしょう。……あれっ、イザベラが書いていることと殆ど同じこと言ってますね私(すいません)。

興味深い点としては、店の裏手に工房があるということ、それ自体でしょうか。現在だと「木工所」と「工房」が別のところにあって、完成品が店に入荷するという形が一般的ですよね。当時の新潟が日本海でも指折りの大都市だったとしても、人口も 5 万人程度だったと言いますし、現代の都市の過密ぶりから考えると、まだまだ随分と余裕があった、ということなんでしょうね。

家庭用の仏像がすべてそろっており、なかでもにこにこ笑っている富の神大黒には目をとめずにいられません。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.276 より引用)

これもなかなか微笑ましい記述です。江戸時代の「神仏習合」から一転して「廃仏毀釈」が始まったものの、「神」と「仏」の間の線引きはまだまだ曖昧なものだった、ということを如実に示しているように思われます。

イザベラ曰く、「仏具店」には「高さが 8 フィート(約 2.4 m)あるもの」から「長さ約 1 インチ(約 2.5 cm)のもの」まで、「あらゆるサイズの神々の像」があるとのことですが……

わたしも袖に入れるタイプの慈悲の神の像を持っています。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.276 より引用)

おっ。ここで突然イザベラのコレクション自慢?が始まるようです。

女神の頭のまわりには金色の後光が射し、そばに金色の笏があって、両腕はそっと胸で組まれています。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.276 より引用)

「慈悲の神の像」とのことですから、少なくとも「大黒さん」では無さそうですよね。日本の神話にもアマテラス以来少なからぬ数の女神が登場しますが、果たしてイザベラの言う「慈悲の女神」とは一体……?

女神のうしろには一〇組ほどの腕が突き出ていますが、とてもたくみに配置されているので、少しも異様な感じはしません。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.276-277 より引用)

えっ……あっ! そうか、これは千手観音菩薩のことだったんですね!

表情にも、また姿にも堂々とした静けさ、穏やかさがあります。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.277 より引用)

そうですよね。観音さまの「性別」については諸説あるようですが、穏やかな表情は確かに「慈母」っぽい感じがします。

仏具

イザベラは、仏具店の品揃えを次のように書き記しています。

かぎりない穏やかさをたたえて仏像が安置されている寺院用の豪華な仏壇や、釈迦の弟子を祀る厨子、上はブロンズと金を使った二〇〇円のものから下は一ドルの白木製のものまで、さまざまな大きさと値段の家庭用仏壇、戒名(カイミョー)という死者の名前を記す黒または金の位牌、ブロンズと真鐘製の蝋燭立てと香炉、高さが六フィートある真鍮製の蓮の花、金で豪華に細工した仏具、太鼓、銅躍、鈴その他、寺院での礼拝に用いられる数多くの楽器、それにある宗派で礼拝する際に象徴として用いる複雑怪奇な品々が種々さまざま何百とあり、どれも多かれ少なかれ凝ったつくりとなっています。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.277 より引用)

ちょっと長いのでどう引用しようかと思ったのですが、中途半端に引用するのもどうかと思ったので、全部引用してしまいました。改めてキーワードを並べると「位牌」「蝋燭立て」「香炉」「真鍮製の蓮の花」「金細工の仏具」「太鼓・銅鑼・鈴などの楽器」とのことで、ほぼ現在の仏具店でも手に入りそうな気がします。

それにしても、イザベラの仏具の理解がもの凄く正確であることに感心していたのですが、原文を見てみると……

There are gorgeous shrines for temples, in which Buddha stands in endless calm, and shrines for his disciples, and family shrines of all sizes and prices, from bronze and gold at 200 yen down to unpainted wood at a dollar, tablets for the kaimiyô or dead name, in black or gold, candlesticks and incense burners in bronze and brass, brass lotuses six feet high, altar-cloths richly worked in gold, drums, gongs, bells, and the numerous musical instruments used in temple worship, and hundreds of different articles more or less elaborate used in the perplexing symbolism of the worship of some of the Buddhist sects.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)

あ、なーんだ。もの凄く正確だったのは和訳のほうだった、というオチのようです。米原万里さんの「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」を思い出してしまいますが、この和訳は「不実な美女」の系譜を受け継ぐものなのかもしれません。

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