2019年5月19日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (631) 「ヤリキレナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ヤリキレナイ川

i-arki-nay?
アレが・やって来る・川


道内の地名はアイヌによって命名されたものも多く、一部は意訳されたものもありますが、多くは音をそのままに漢字を当てたり、あるいはカタカナのまま残されていたりします。

アイヌ語の地名を日本語で解釈すると、たとえば「面白内川」のように時には全く違う意味に捉えることができてしまうこともあり、珍名として知られることになります。そういった点では「ヤリキレナイ川」は横綱級の知名度を誇ります。

地元の見解

川自体は夕張川の西支流である由仁川の西支流で(現在は夕張川に直接注ぐように流路改修済み)、由仁の市街地の中を流れる小さな川に過ぎませんが、例えば Google で「由仁町」と検索すると、ナレッジパネルに

由仁町は、北海道空知総合振興局管内、夕張郡にある町。札幌市の東、約42kmに位置する。ヤリキレナイ川が有名である。地名の由来は、アイヌ語の「ユウンニ」から。

と表示されるくらい有名だったりします。由仁町の公式 Web ページにも、「観光、遊ぶ・・・」というカテゴリの中に「ヤリキレナイ川」の項目があり、

知る人ぞ知る、ちょっと有名な「ヤリキレナイ川」。
由仁市街地を通り、夕張川へ流れています。

昔はアイヌ語で「ヤンケナイ川」「イヤルキナイ川」と呼ばれ、「魚の住まない川」「片割れの川」の意味だそうです。
この川は、大雨が降るたびに氾濫したため、明治時代から住民が「ヤリキレナイ川」と呼び始め現在に至ります。

6月上旬に、草刈りとゴミ拾いをし、地域でこの川を守っています
http://www.town.yuni.lg.jp/01030100kankoasobu_sisetu01.html より引用)

と記載されていたりします(どう見ても観光地では無いのですが)。

「やりきれない」和名説

「ヤリキレナイ」は「やりきれない(思い)」に通じることから高い知名度を得るに至ったのですが、どうやら「ヤリキレナイ」をそのままアイヌ語として解釈するのは無理がありそうです。川の名前が「ヤリキレナイ」になったのは、由仁町の Web にも記されている通り、昔の人のユーモアから来るものだと考えるのが正解のようです。

ただ、この川が「ヤリキレナイ川」と呼ばれるようになる前から、それに近い音、具体的には「ヤンケナイ」あるいは「イヤルキナイ」と呼ばれていたと言うのもおそらくは正しいのだろうなぁ、と思わせます。ということで、「ヤリキレナイ川」の元となった地名が何だったか、少し検討してみようと思います。

「ヤンケナイ」説

まず「ヤンケナイ」ですが、道南の北斗市(旧・上磯町)に「矢不来」(やふらい)という所があります。ここが元々は yanke-nay だったと考えられますが、yanke-nay は「陸揚げの・川」であり、「魚の住まない川」や「片割れの川」とは解釈できないように思えます。

「イヤルキナイ」説

「イヤルキナイ」については、「東西蝦夷山川地理取調図」に「イヤルキナイ」と描かれているほか、「由宇発利日誌」にも

 扨此川口しばし入て右の方イヤルキナイ、又しばし過てベルベ、
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.185 より引用)

と記されています。前述の通り、「ヤリキレナイ川」は由仁川の支流に過ぎないので、扱いもこの程度です。これは何ともヤリキレn(ry

「ヤンケナイ」については道南に類型がありましたが、「イヤルキナイ」については釧路の塘路湖の近くに「阿歴内」という地名があり、それとの類似性が感じられます。「阿歴内」は arke-nay で「片割れの・川」ではないかと考えられますから、「イヤルキナイ」も i-arke-nay と考えられないだろうか、ということのようです。

そうすると、頭の i- をどう考えたものか……という問題が残ります。ただ、arke ではなく arki だと考えると i-arki-nay で「アレが・やって来る・川」と解釈できそうです。「アレ」が「マムシ」なのか、あるいは「羆」なのかは不明ですが、アイヌが「出会いたくないもの」の「交通路」だった、と考えることができそうです。

地形的な検討

「ヤリキレナイ川」ですが、上流部は道道 3 号「札幌夕張線」のすぐ近くを流れています。道道 3 号は馬追丘陵の真ん中をほぼ直線的に貫いていて、由仁と長沼を直結しています。山越えのルートとして理想的ですが、それ故に「アレ」の交通路となった可能性も考えられるかと思われます。

また、ヤリキレナイ川を遡ると馬追丘陵の谷間に出ますが、この「尾根の谷間」を iworkitay と呼んだ……という可能性も残しておきたいです。

'''iworkitai イウォㇿキタイ【名】[iwor-kitay 山奥の谷あい・の頂上]尾根と尾根の間の谷あいのいちばん奥のちょうど尾根の分れている所。(S)
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.256 より引用)

「イウォㇿキタイ」が「イヤルキナイ」に変化したというのはやや苦しいかもしれませんが、地形的な特徴を示すという点では適切なものに思えます。現時点では傍証が皆無なため、数ある試案の一つとして残しておきます。

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