(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ペンケヌプチミプ橋
penke-not-chimi-p??
川上側の・鼻(岬)・左右にかき分ける・もの
川上側の・鼻(岬)・左右にかき分ける・もの
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
道道 638 号「宿志別振内停車場線」は「豊糠橋」で平取ダムのダム湖(額平川)を渡っていますが、「豊糠橋」の南で「ペンケヌプチミプ橋」が小さな川(名称不明)を渡っています。「ラフベンニ」とは?
『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) ではそれらしい川名を確認できないようですが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「ペンケヌッチミ」という川が描かれていました。戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。
扨二股より左の方ヌカ平通り本川まゝを上り来れば、しばしを過て
ハンケヌツチミフ
ヘンケヌツチミフ
右の方小川、其名義は前に云ラベンニ 有る処と云よし也。ヌツチミフとはラフベンニ の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.35 より引用)
……? 「ラフベンニ」あるいは「ラフベンペ」とは一体……?少し調べてみたのですが、これ、どうやら「ラペンペ」が正解みたいですね。『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) にはそれらしい語が見当たらないようですが、『萱野茂のアイヌ語辞典』(2010) には……
ラペンペ【rapempe】
カヤ.
(萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂 p.461 より引用)
おお~。流石ですね!知里さんの『植物編』(1976) にも「カヤ ススキ」の項に次のように記されていました。
( 3 ) rapempe (ra-pém-pe) 「ラ〓ンペ」[rap(翼)en(鋭い)pe(もの)] 稈《長萬部,幌別,穗別》《A 沙流・鵡川・千歳・有珠》
注. ── rabinbi ヨシ(鳥居龍藏『千島アイヌ』)
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.226 より引用)※ 「〓」は変体仮名
あとは「ヌツチミフ」が「カヤ ススキ」を意味する……という話であれば万事解決なのですが、残念ながらそれらしい記述を見つけられていません。『植物編』によると (1) 美幌・足寄・十勝・石狩で nupkaus、(2) 屈斜路では mukkaus とのこと。「ペンケ」があるなら「パンケ」もある筈
ちょっと手詰まり感が出てきたので、アプローチを変えてみましょう。「ペンケヌプチミプ橋」が渡っている名称不明の川は、『北海道実測切図』によるとかつて「ヘンケヌツチミフ」と呼ばれていたとのこと。「ペンケ──」があるなら「パンケ──」もある筈なのですが、『北海道実測切図』を見てみると……うーむ、これは……。松浦武四郎は「ハンケヌツチミフ」と「ヘンケヌツチミフ」を「二股より左の方ヌカ平通り本川まゝを上り来れば」と記しているので、「ハンケヌツチミフ」は「シクシュペッ」(=宿主別川)よりも北にある筈なんですが、「実測切図」は「シクシュペッ」の南に「パンケヌッチミ」を描いています。少なくとも川の位置については「実測切図」は疑わしい……ということになりますね。
「野を左右にかき分けるもの」?
では、「ヌツチミフ」あるいは「ヌプチミプ」を素直に解釈するとどうなるか……ですが、「ヌプチミプ」であれば nup-chimi-p で「野・左右にかき分ける・もの」となりそうでしょうか。chimi というのは偶に出てくる語ですが、いつも解釈に苦しむ語です。知里さんは「左右にかき分ける」としていますが、ジョン・バチェラーによると「手探り」ではないかとのこと。
個人的には、巨人が大地を手で引っ掻いたような地形……という印象があります(サンプルが少ないので、この解釈には今ひとつ自信が持てなかったりもするのですが)。
「鼻(岬)」を左右にかき分けた?
とりあえず「ヌプチミプ」または「ヌツチミフ」をどう解釈するかがポイントだと思うのですが、nup-chimi-p で「野・左右にかき分ける・もの」よりは not-chimi-p で「鼻(岬)・左右にかき分ける・もの」だったんじゃないかなぁ……と思えてきました。この川は見事に「江無須志山」を「切り開いている」ように見えるんですよね。残る問題は松浦武四郎が記録した「ハンケヌツチミフ」がどこを流れていたか……ですが、本当は「ペンケヌプチミプ橋」が渡る川が「ハンケヌツチミフ」で、「ヘンケヌツチミフ」は北隣を流れる名称不明の川(「実測切図」が「ア子マㇷ゚」とした川)だった……とかでしょうか。
シケレベ川
sikerpe?
キハダの実
キハダの実
(? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
豊糠神社の北を流れて西から額平川に合流する支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たらないようですが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「シケレペ」と描かれています。ただ戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。
また少し過て
シケレベ
同じく右岸小川。黄蘗の木多しと、よつて号るよしなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.35 より引用)※ 原文ママ
現在の「シケレベ川」は上流に向かって「左側」を流れているので、どこかに錯誤が存在することになります。手元にはこれ以上の情報がなさそうなので、誰がどう間違えたのかを断定することは難しそうですが、sikerpe が「キハダの実」なのは間違いないと見ていいかと思われます。www.bojan.net
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