2026年7月24日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1412) 「オピラクシナイ沢川・パンケルベシベ沢川・アイカップ沢川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

オピラクシナイ沢川

o-pir-un-ne-p??
河口・傷・ある・ような・もの(川)
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
むかわ町穂別和泉を流れるルベシベ川の南支流です。東西蝦夷山川地理取調図 (1859) 」にはそれらしい川が見当たらないものの、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オピラウン子プ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

 また少し行
      ヲヒルン子フ
 右の方小川也。此処に水溜に成る瀬有るよりして号しとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.546 より引用)
ちょっと困ったことになりました。現在の「オピラクシナイ」という川名であれば o-pira-kus-nay で「河口・崖・横切る・川」と読むことができます。ところが松浦武四郎が記録した「ヲヒルン子フ」という川名は、o-pir-un-ne-p で「河口・渦・ある・ような・もの」と読める……ような気もします。

pir は「渦」としましたが、地名においてはむしろ「傷」のほうが多そうな気もします。山を引っ掻いた「切り傷」のような川を pir だったり pinnay と呼ぶことがありますが、現在の「オピラクシナイ沢川」もかなり深く掘れた谷であるように見えます。

ということで、o-pir-un-ne-p で「河口・傷・ある・ような・もの(川)」だったのではないかと考えてみました。pir-un という用例が他に見当たらないようにも思えるのが不安なところですが……。

現在の川名は「オピラクシナイ沢川」ですが、誤読や誤解(良かれと思って修正したのかも)が重なってそうなった……という可能性もあるかもしれません。

パンケルベシベ沢川

mo-{ru-pes-pe}
小さな・{ルベシベ川}
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ルベシベ川の支流で、オピラクシナイ沢川の東隣を流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「モルペㇱュペ」と描かれていました。


『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) でも同様に「モルヘシヘ」と描かれています。戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

 また少し上りて
      モルベシベ
 右の方相応の川也。是ルベシベの小川と云義なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.546 より引用)
「ルベシベ川」が ru-pes-pe で「路・それに沿って下る・もの(川)」で、その支流なので mo-{ru-pes-pe} で「小さな・{ルベシベ川}」ということですね。

何故、現在は「パンケ──」を冠するのかが少々謎だったのですが、北隣(と言っても多少離れている)に「ペンケ──」があるので、特に不審な点は無さそうに思えてきました。もっとも「ペンケ──」のほうに若干の謎がありそうですが……。

アイカップ沢川

aykap
できない
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「パンケルベシベ沢川」の南支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たりませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「アイカプ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

 扨此モルヘシベの方少し上る哉
       アヘカフ
  右の方小川有。其上に小丸山一ツ有。此上を矢を越さじと土人一同に勝負をするに、中々越がたき故に号るとかや。本名アイカツフ、其名義は不出来と云事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.546 より引用)
地名アイヌ語小辞典』(1956) によると aykap は「できない;できなくなる;とどかない;とどかなくなる」とのこと。『地名アイヌ語小辞典』の記載をざっくり引用すると……

──この地名は方々にあり,けわしくて通りぬけられぬような岬をさして云っている。そういう岬の上には,古く神を祭る幣場があり,漁や狩或は戦争に出かけるさい,そこの神に祈って,そこの崖とか岩とかに矢を射て運勢を試す土俗があったらしい。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.12 より引用)
昔のアイヌは狩猟の前に弓矢が命中するか否かで吉凶を占うことがあったと言われます。弓占いを行う場所は chi-tukan-us-i(我ら・矢を射る・いつもする・ところ)と呼ばれたようです。

aykap もこの弓占いと関連すると考えられ、「なかなか弓矢が当たらない場所」を指す……とされます。少なくとも私はそう思い込んでいたのですが、『小辞典』を良く見ると……

──この地名は方々にあり,けわしくて通りぬけられぬような岬をさして云っている。
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.12 より引用)
あ。そういう解釈もアリだったんですね(汗)。「アイカップ沢川」を遡った先も沙流川との分水嶺で、そのまま南東に向かえば現在の平取荷負に出られる筈です。

ただ aykap で「できない」と呼んだのは、何らかの理由で峠道としては使用できなかったのかもしれません。明確な理由は不明ですが、等高線はそこそこ稠密にも見えるので、不可能とまでは言わないものの「やめとけ」と言うレベルのルートだったのかもしれません。

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